△古事記 中巻 大倭日子鋤友天皇(懿徳天皇)
 
 大倭日子鋤(金偏+且)友命は、軽(かる)の境岡(さかひを)の宮にお出でになっ て、天下をお治めになった。
 この天皇が、師木(しき)の県主の祖先の、賦登麻和訶比売(ふとまわかひめ)の命、 亦の名は飯日比売(いひひひめ)の命を娶ってお生みになった御子は、御真津日子訶恵 志泥(みまつひこかゑしね)の命、次に多芸志比古(たぎしひこ)の命である(二柱)。
 故に御真津日子訶恵志泥命は天下をお治めになった。次に多芸志比古命は血沼(ちぬ) の別(わけ)、多遅麻(たぢま)の竹別、葦井(あしゐ)の稲置の祖先である。
 
 この天皇は、御年四十五歳である。御陵は、畝傍山の真名子谷(まなごだに)の辺り にある。
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