△古事記 中巻 師木津日子玉手見天皇(安寧天皇) 師木津日子玉手見の命は、片塩(かたしは)の浮穴(うきあな)の宮にお出でになっ て、天下をお治めになった。この天皇が、河俣比売(かはまたびめ)の兄の県主波延 (はえ)の娘阿久斗比売(あくとひめ)を娶ってお生みになった御子は、常根津日子伊 呂泥(とこねつひこいろね)の命、次に大倭日子鋤(すき、金偏+且)友(おほやまと ひこすきとも)の命、次に師木津日子(しきつひこ)の命である。 この天皇の御子たち、合わせて三柱のうち、大倭日子鋤友命が天下をお治めになった。 次に師木津日子命の御子には、二柱の子がおられた、一柱の子は、伊賀の須知(すち) の稲置(いなぎ)、那婆理(なばり)の稲置、三野(みぬ)の稲置の祖先である。 もう一柱の御子和知都美(わちつみ)の命は、淡道(あはぢ)の御井(みゐ)の宮に お出でになった。この王(みこ)に二柱の娘がおられた。姉の名は蝿伊呂泥(はへいろ ね)、亦の名は意富夜麻登久邇阿礼比売(おほやまとくにあれひめ)の命、妹の名は蝿 伊呂杼(はへいろど)である。 この天皇は、御年は四十九歳である。御陵は、畝傍山の美富登(みほと)にある。 |