△古事記 中巻 神倭伊波礼毘古天皇(神武天皇)
 
〈皇后〉
 ところで、日向にお出でになっていたときに、阿多の小椅(をばし)の君の妹で、名 は阿比良比売(あひらひめ)を娶ってお生みになった御子は、多芸志美美(たぎしみみ) の命、次は岐須美美(きすみみ)の命の二柱が居られた。しかしながら、更に大后(お ほきさき、皇后)にする美人(をとめ)をお捜しになったときに、大久米(おおくめ) の命が申すには、
「ここに、これを神の御子と申す乙女が居る。神の御子と云う訳は、三島の湟咋(みぞ くひ)の娘で名は勢夜陀多良比売(せやたたらひめ)は、それが大層美人であるので、 三輪の大物主神が心を奪われて、その乙女が糞をするときに、赤く塗った矢に成って、 糞をする溝から流れてきて、乙女の女陰を突いてしまわれた。そしたら乙女は驚いて、 飛びあがって身震いしてしまった。そして、その矢を持ってきて床の辺りに置いたとこ ろ、たちまちに立派な男に成ったので、即ちその乙女を娶ってお生みになった御子、御 名は冨登多多良伊須須岐比売(ほとたたらいすすぎひめ)の命、亦の名は比売多多良伊 須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)と申す(これは、その富登(ほと)と云う 言葉を嫌って、後に変えた名である)。
と云うことで、神の御子とは申す」 と申し上げた。
 
 ここに、七人の乙女が高佐士野(たかさじぬ)で野遊びをしたとき、伊須気余理比売 (いすけよりひめ)がその中に居られた。
 そこで、大久米命はその伊須気余理比売を見て、歌によって天皇(すめらみこと) に申し上げられるには、
「倭の 高佐士野を
七行く をとめども 誰をし枕かむ」
 
 ここに伊須気余理比売は、その乙女たちの先頭に立たれていた。
 すなわち天皇は、その乙女らをご覧になって、御心の中で伊須気余理比売が最前に立 っていることをお知りになって、御歌でお答えになるには、
「かつがつも いや前立てる 兄をし枕かむ」
 ここに、大久米命は天皇のお言葉を、その伊須気余理比売にお伝えになるときに、 (比売は)大久米命の入墨をした目を不思議だと思って歌われるには、
「あめつつ ちどりましとと など黥ける利目」
 
すると、大久米命が歌って答えるには、
「をとめに 直に逢はむと わが黥ける利目」
 そこで、その乙女は、
「お仕え申し上げる」
と申した。
 ところで、その伊須気余理比売命の家は、狭井河(さゐがは)の辺りにあった。天皇 は伊須気余理比売の許にお出でになって、一晩一緒に寝られた(その河を佐韋河と云う 訳は、その河の辺りに山百合が沢山あった。それで、その山百合の名をとって佐韋河と 名付けたのである。山百合の本の名前は、佐韋と云う)。
 後に、その伊須気余理比売が橿原の宮中に参内したときに、天皇が御歌をお詠みにな るには、
「葦原の しけしき小屋に 菅畳
いやさや敷きて わが二人寝し」
 
 このようにして、お生まれになった御子の御名は、日子八井(ひこやゐ)の命、次に 神八井耳(かむやゐみみ)の命、次に神沼河耳(かむぬなかはみみ)の命である(三柱)。
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