△古事記 中巻 神倭伊波礼毘古天皇(神武天皇)
 
〈八咫烏〉
 ここにまた、高木大神のお言葉によりお教えになられるには、
「天神の御子よ、これより奥の方に入って行かれないように。荒ぶる神が大変多い。今、 天より八咫烏を遣わす。その八咫烏が導くであろう、烏の飛んで行く後からお出でなさ い」
とお教えになった。
 そこで、その教示のとおりに、その八咫烏の後からお行きになると、吉野河(えしぬ がは)の河口に着かれたときに
筌(やな)をかけて魚をとる人がいた。ここに天神 の御子が、
「お前は誰だ」 とお尋ねになったところ、
「僕は国神、名は贄持(にへもつ)の子である」
と申した(これは阿陀の鵜飼の祖先である)。
 
 そこから更に行かれると、尾のある人が泉の中から出てきた。その泉が光っていた。 そこで、
「お前は誰だ」
とお尋ねになったところ、
「僕は国神、名は井氷鹿(ゐひか)である」
と申した(これは吉野首らの祖先である)。
 
 さてそこから(吉野の)山へ入られると、また尾のある人にお会いになった。この人 は岩を左右に押し分けて出てきた。そこで、
「お前は誰だ」
とお尋ねになったところ、
「僕は国神、名は石押分(いはおしわく)の子である。今、天神の御子がお出でになっ たと聞いたので、お迎えに参ったのである」
と申した(これは吉野の国巣の祖先である。)
 そこから(山道を)踏み穿って越えて、宇陀(うだ)にお出でになった。故に宇陀の 穿(うがち)と云う。
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