△古事記 中巻 神倭伊波礼毘古天皇(神武天皇)
 
〈熊野の剣〉
 さて、神倭伊波礼毘古命は、男之水門から迂回して行かれて、熊野村にお出でになっ たときに、大きな熊がちょっとだけ出てまた入って、そのまま消えた。そしたら神倭伊 波礼毘古命はたちまち正気を失って、また兵士も正気を失って倒れてしまった。
 このときに、熊野の高倉下(たかくらじ)が一ふりの太刀を持って、天神の御子が伏 せておられる地(ところ)来て奉るときに、天神の御子はすぐに正気に返って起き上が って、
「長いこと寝てしまった」
と仰せになった。
 
 そして、その太刀を(高倉下から)受け取られたときに、熊野山の荒ぶる神が自然に 皆斬り倒された。そして惑乱して倒れている軍隊はすべて正気に返った。故に天神の御 子は、その太刀を得た事情をお聞きになると、高倉下が答えて申すには、
「わしの見た夢に、天照大神・高木神の二柱の神のお言葉によって、建御雷神を召し出し て仰せられるには、
『葦原中国は、いたく騒いでいる音が聞こえる。私の御子らは病気になっておられるよ うだ。その葦原中国は、専らお前が服従させる国であるので、お前建御雷神が降るよう に』
と仰せになった。
 そこで答えて申すには、
『僕が降らなくても、専らその国を平定した太刀があるので、(この太刀を)降そう (この刀の名は佐士布都神(さじふつのかみ)と云う。亦の名は甕布都神と云う。亦の 名は布都御魂(ふつのみたま)。この刀は石上神宮に在る)。
 この刀を降す状は、高倉下の倉の屋根に穴をあけて、そこから落とし入れよ』
と申し上げた。
 
 建御雷神が教えられるには、
『お前が倉の頂(むね)を穿って、この刀を落とし入れよ』
と。
『故に、朝目が覚めたらお前が(太刀を)持って、天神の御子に献上するように』
とお教えになった。
 
と、このような夢の教えのように、翌朝己の倉を見たところ、正にその太刀があった。 それでこの太刀を持って献上するものである」
と申した。
[次へ進む]  [バック]