△古事記 中巻 神倭伊波礼毘古天皇(神武天皇)
 
 神倭伊波礼毘古命(かむやまといはれびこのみこと)と、その同母兄の五瀬命(いつ せのみこと)の二柱は、高千穂宮にお出でになって相談して仰せられるには、
「どこの地に居ったら、天下を平安に治められるであろうか。もっと東の方に都の地を 求めようと思う」
と仰せになって、まず日向より出発なされて、筑紫にお出でになった。そこで豊国の宇 沙(うさ)に到着なされたときに、その土着の人、名は宇沙都比古(うさつひこ)・宇沙 都比売(うさつひめ)の二人が足一騰(あしひとつあがり、簡単な)の御殿を作って、 ご馳走された。
 
 そこ宇沙の地からお遷りになって、筑紫の岡田の宮に一年ご滞在になった。また、そ こ筑紫の国からお上りになって、阿岐国の多祁理(たけり)の宮に七年ご滞在になった。 また、その国から遷ってお上りになって、吉備の高島の宮に八年ご滞在になった。その 吉備国からお上りになったときに、亀の甲に乗って釣りをしながら羽ばたくように袖を 動かす人に、速吸門(はやすいなど、速吸の海峡)で出会われた。そこで(その人を) 呼び寄せて、
「お前は誰だ」
とお尋ねになったところ、
「僕は国神、(名は宇豆毘古)である」
と申した。また、
「お前は海の道を知っているか」
とお尋ねになったところ、
「良く知っている」
と申した。
また、
「自分に従って仕えるか」
とお尋ねになったところ、
「お仕え致す」
と申した。
 
 そこで船の棹をさし渡して、(国神を)船に引き入れて、槁根津日子(さをねつひこ) と云う名を与えた(これは、倭国造らの祖先である)。
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