△古事記 下巻 白髪大倭根子天皇(清寧天皇) 〈二王子の発見〉 さて、山部の連小盾(をだて)が、針間国の宰(みこともち、長官)に任命されたと きに、その国の人民で、名は志自牟(しじむ)が新築祝いの宴をした。ここで、盛んに 酒宴をして、宴がたけなわになったときに、順序に従って皆舞った。 このとき、火焚きの少年が二人、竃の側に居たが、その少年たちにも舞わせたので、 その一人の少年が、 「兄が先に舞われるように」 と言うと、その兄も、 「弟が先に舞われるように」 と言った。 このように相譲っているときに、その場に集まってた人々は、その譲り合う状を笑っ た。そしてとうとう兄が舞い終わり、次に弟が舞おうとするときに、歌いながら言うに は、 「物部(もののふ)の 我が夫子が 取り佩ける 太刀の手上に 丹画き著け その緒には 赤幡を載ち 赤幡立てて 見ゆれば五十隱る 山の三尾の竹を (本)かき苅り 末押し縻かす魚簀 八絃の琴を調べたる如 天の下治め賜ひし 伊邪本和気天皇の御子 市辺之押歯王の 奴末」 と仰せになったので、すなわち、小盾連はこれを聞いて驚き、席から落ちて転んで、そ の部屋の人たちを追い出して、その二柱の王子を左右の膝の上に座らせられて、泣き悲 しんで、人民を集めて仮宮を作り、その仮宮に住まわせ申し上げて、駅使(はゆまづか ひ)を奉った。 ここに、その伯母の飯豊王が聞いてお喜びになって、宮に上らせられた。 |