△古事記 下巻 大長谷若建天皇(雄略天皇) 〈三重采〉 また、天皇が長谷の百枝槻(ももえつき、枝の茂った槻木)の下にお出でになって、 豊楽(新嘗祭の宴)をされたときに、伊勢の国の三重采(みへのうねべ) が、大御盞 (おほみさかづき、天皇の盃)をささげて献上した。すると、その百枝槻の葉が落ちて、 大御盞に浮かんだ。その采は、落ち葉が盃に浮いているのを知らないで、なおも大御 酒を献上したために、天皇はその盃に浮いた葉をご覧になって、その采?を打ち伏せ、 太刀をその頸に刺しあてて斬り殺そうとしたときに、その采が天皇に申すには、 「吾を殺さないで下さい。申すことがある」 と申して、すなわち歌うには、 「纏向の 日代の宮は 朝日の 日照る宮 夕日の 日翔る宮 竹の根の 根足る宮 木の根の 根延ふ宮 やほによし い築きの宮 まきさく 檜の御門 新嘗屋に 生ひ立てる ももだる 槻が枝は 上つ枝は 天を覆へり 中つ枝は 東を覆へり 下枝は 鄙を覆へり 上つ枝の 枝の末葉は 中つ枝に 落ちふらばへ 中つ枝の 枝の末葉は 下つ枝に 落ちふらばへ 下枝の 枝の末葉は ありきぬの 三重の子が 捧がせる 瑞玉盞に 浮きし脂 落ちなづさひ 水なこをろこをろに こしもあやにかしこし 高光る 日の御子 事の語り言も こをば」 そして、この歌を献上したところ、(天皇は)その罪をお許しになった。そこで、大 后(若日下王)が歌われた、その御歌、 「倭の この高市に 小高る 市のつかさ 新嘗屋に 生ひ立てる 葉広 ゆつ真椿 そが葉の 広りいまし その花の 照りいます 高光る 日の御子に 豊御酒 たてまつらせ 事の語り言も こをば」 そこで、天皇がお歌いになるには、 「ももしきの 大宮人は 鶉鳥 領巾取りかけて 鶺鴒 尾ゆきあへ 庭雀 うずすまり居て 今日もかも 酒水漬くらし 高光る 日の宮人 事の語り言も こをば」 この三つの歌は、天語歌(あまことうた)である。そこで、この豊楽に、その三重采 を誉めて、多くの品物を与えられた。 |