△古事記 下巻 大長谷若建天皇(雄略天皇)
 
〈若日下部王〉
 初め、大后が日下におられた頃、日下の直越(ただこえ)の道を通って河内にお出ま しになった。そこで、山の上に登って国内を遠望されると、鰹魚木(かつおぎ)を上げ て屋根を作った家があった。天皇は、その家について尋ねさせて、
「その鰹魚木を上げて屋根を作ったのは、誰の家かな」
と尋ねさせたところ、(従者が)
「志機(しき)の大県主の家である」
と申した。
 そこで、天皇が仰せになるには、
「奴か、己の家を天皇の御舎(みあらか、宮殿)に似せて造っている」
と仰せになって、ただちに人を遣わせてその家を焼いてしまわれようとするときに、そ の大県主が恐れて頭を下げて申すには、
「奴(やっこ)であるために、(卑しい)奴故に気がつかないで、間違って作った。恐 れ多いことである」
と申した。
 故に能美之御幣物(のみのゐやじり、謝罪の贈り物)を献上した。白い犬に布をかけ て、鈴をつけ、己の一族の、名は腰佩(こしはき)と云う人に犬の縄を取らせて献上し た。そこで、その家に火を着けることを止めさせた。
 それからすぐ、その若日下部王の許にお出でになって、その犬を贈り入れて、(従者 に)お告げさせられるには、
「この物は、今日、道中で得た珍しい物である。故にこれが都摩杼比(つまどひ、結納) の物である」
と言って、お贈りになった。
ここに若日下部王は、天皇に申し上げさせるには、
「太陽を背にしてお出でになったことは、恐れ多いことである。故に、私はすぐに参上 してお仕え申し上げる」
と申し上げさせた。
 
 このようなことで、(朝倉の)宮にお帰りになられるときに、その山の坂の上に行っ てお立ちになって、歌われるには、
「日下部の こちの山と
たたみこも 平群の山の
こちごちの 山の峡に
立ち栄ゆる 葉広熊白檮
本には いくみ竹生ひ
末辺には たしみ竹生ひ
いくみ竹 いくみは寝ず
たしみ竹 たしには率寝ず
後もくみ寝む その思ひ妻 あはれ」
 そこで、この御歌を持たせて、返してお遣わしになった。
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