△古事記 下巻 穴穂天皇(安康天皇) 〈忍歯王殺害〉 この事件の後に、淡海の佐佐紀の山の君の祖先、名は韓袋(からぶくろ)が申すには、 「淡海の久多綿(くたわた)の蚊屋野(かやぬ)には、鹿(しし)が沢山いる。その立 つ足は荻原(すすきはら)のようで、頭に戴いた角は枯樹(からき)のようである」 と申した。 このときに、市辺之忍歯王を伴って淡海にお出でになって、その野に到着したところ、 (二人の王子は)それぞれ違う仮宮を作ってお泊まりになった。そして翌朝、まだ日も 上らないときに、忍歯王は、平常心で馬に乗られながら、大長谷王の仮宮の側に着て立 たれて、その大長谷王子のお伴の人に仰せになるには、 「まだお目覚めではないようなので、早く申せ。夜はすっかり明けた、猟場にお出まし になろう」 と仰せになって、そのまま馬を進めて出て行かれた。 そこで、その大長谷王の側に仕えている人たち、 「いやみに物を言う王子であるので、お慎みされよ。また、御身を武装されるように」 と申した。 そこで(大長谷王は)、衣の中に甲を着けて、弓矢を帯びて、馬に乗って出て行かれ て、たちまちの間に乗馬のまま進み並んで、矢を抜いてその忍歯王を射落して、また、 その身体を斬って馬の飼葉桶に入れ、地面と同じ高さに埋めた。 |