△古事記 下巻 穴穂天皇(安康天皇)
 
〈目弱王殺害〉
 また(大長谷王は)軍を興して、都夫良意美の家を包囲された。そして(都夫良意美 も)軍を興して応戦し、射放つ矢は葦の花が盛んに散るようであった。そこで大長谷王 は、矛を杖にして、その家の中を臨かれて仰せになるには、
「自分が言い交わした嬢子(をとめ)は、もしやこの家に居るか」
と仰せになった。
 すると都夫良意美は、このお言葉を聞いて、自ら参り出て、身に着けていた武器をは ずして、八度拝んで申すには、
「先日妻問いなされた娘、訶良比売(からひめ)は差し上げよう。また、五ヵ所の屯倉 を副えて献上する(いわゆる五村の屯倉は、今の葛城の五村の園の人々である)。
 しかるに、その人(自分)自身が参上しない訳は、古来より今に至るまで、臣・連が王 の宮に隠れたことは聞くが、王子が臣下の家に隠れ籠まれたことは聞いたことがない。 ここで思うには、賤奴(やっこ)である意富美(自分)は、力を尽くして戦っても決し て勝てる筈はない。しかしながら己を頼って卑しいこの家に入られた王子は、死んでも お見捨て出来ない」
 
 このように申して、またその武器を取って(自分の家に)帰り入って戦った。そして 力が尽き矢も無くなったので、目弱王に(都夫良意美が)申すには、
「僕は痛手を負った。矢も尽きた。今は戦えない。どのようにしようか」
と申したところ、その王子、
「それならば、しかたがない。今は吾を殺してくれ」
と仰せになった。
 そこで、刀でその王子を刺し殺されて、すなわち自分の首を切って死んだ。
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