△古事記 下巻 男浅津間若子宿禰天皇(允恭天皇) 〈心中〉 さて、後にまた恋しさに耐えられず、(太子を)追って行かれるときに、(衣通王) が歌われるには、 「君がゆき 日長くなりぬ やまたづの 迎へを行かむ 待つには待たじ」 (ここに山多豆(やまたづ)と云うのは、今の造木(たつげ)である) そして追いついたときに、(太子は衣通王を)待ち思って歌われるには、 「こもりくの 泊瀬の山の 大をには 幡張り立て さををには 幡張り立て 大小にし なが定める 思ひ妻あはれ 槻弓の 臥やる臥やりも 梓弓 起てり起てりも 後も取り見る 思ひ妻あはれ」 また(太子が)歌われるには、 「こもりくの 泊瀬の河の 上つ瀬に 斎杙を打ち 下つ瀬に 真杙を打ち 斎杙には 鏡を懸け 真杙には 真玉を懸け 真玉なす あが思ふ妹 鏡なす あが思ふ妻 ありと 言はばこそに 家にも行かめ 国をも偲ばめ」 このように歌って、そのまま一緒に自ら死んでしまわれた。 ところで、この二歌(ふたうた)は読歌(よみうた)である。 |