△古事記 下巻 伊邪本和気天皇(履中天皇)
 
〈墨江中王の反逆〉
 初め、(天皇が)難波宮にお出でのとき、大嘗にお出でになって豊楽(大嘗祭)を催 したときに、酒に酔ってお眠りになった。ここにその弟の墨江中王が、天皇をお殺しに なろうとして、大殿に火を着けてしまった。そこで倭の漢の直の祖先の阿知(あち)の 直がひそかに連れ出して、馬にお乗せして、倭に行かせられた。
 多遅比野に着いて、目が覚めて、
「ここはどこであるか」
と仰せになった。
 阿知直が申すには、
「墨江中王が、大殿に火を着けられたのである。故にお連れして、倭へ逃げて行くので ある」
と申した。
 ここに天皇がお歌われるには、
「多遅比野に 寝むと知りせば
立薦も 持ちて来ましもの 寝むと知りせば」
 
 波邇賦坂に来て、難波宮を遠望されたところ、その火がなお赤く見えていた。そこで 天皇はまたお歌われるには、
「波邇布坂 わが立ち見れば
かぎろひの 燃ゆる家群 妻が家のあたり」
 このようにして、大坂の山の入り口にお着きになったときに、一人の女に出会われた。
 その女が申すには、
「武器を持った人らが、沢山この大坂山を塞いでいる。当岐麻道から迂回して越えて行 かれるように」
と申した。
 これを聞いて天皇がお歌われるには、
「大坂に 遇ふや女人(をとめ)を
道問へば 直には告らず 当麻道を告る
 
 このように上って行かれて、石上神宮(いそのかみのかみのみや)にお入りになられ た。
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