△古事記 下巻 大雀天皇(仁徳天皇)
 
〈女鳥王と速総別王〉
 また、天皇はその弟、速総別王を仲人にして、庶妹(異母妹)の女鳥王を所望された。
 すると女鳥王は、速総別王に語られるには、
「大后が強情であったために、八田若郎女をしっかりと治められられなかったので、 (私は)お仕え出来ません。私は汝命の妻(め)になりたいと思う」
と言って、そのまま結婚してしまった。
 このために速総別王は、復命を申し上げなかった。そこで、天皇はすぐに女鳥王の居 られる所にお出でになって、その戸口の敷居の辺りにお座りになった。ここに、女鳥の 王は機に腰をかけて機織りをされていた。そこで天皇が御歌を詠まれるには、
「女鳥の わが王の 織ろす服
誰がたねろかも」
 
 女鳥の王の答歌、
「高行くや 速総別の 御襲料」
 
 故に天皇は、その心中を察して宮中にお帰りになった。
 この頃に、その夫の速総別王が来られたときに、その妻(みめ)女鳥王が歌われるには、
「雲雀は 天に翔る
高行くや 速総別 鷦鶺取らさね」
 
 天皇は、この歌を聞かれて、ただちに軍を興して(二人を)お殺しになろうとした。 そこで、速総別王・女鳥王は、一緒に逃げて倉椅山(くらはしやま)に登られた。
 ここに速総別王が歌われるには、
「はしたての 倉椅山を
嶮しみと 岩懸きかねて わが手取らすも」
 
 また歌われるには、
「はしたての 倉椅山は
嶮しけど 妹と登れば 嶮しくもあらず」
 
 そして、そこから逃げて、宇陀の曽爾に到着されたときに、天皇軍が追いついて(二 人を)お殺させになった。その将軍、山部の大楯(おほたて)の連は、その女鳥王の手に 巻かれた玉釧(たまくしろ、腕飾り)を取って、己の妻に与えた。
 
 それから後のこと、豊楽(新嘗祭のときの酒宴)をされようとするときに、各氏の女た ちが皆参内した。そこで大楯連の妻が、(女鳥王の)玉釧を己の腕に巻いて参列した。
 ここに大后の石之日売命は、自ら大御酒の柏の盃をお取りになって、全ての氏族の女 たちに与えられた。その折に大后は、その玉釧を見知っておられたので、(大楯連の妻 には)御酒の柏をお与えにならないで、ただちに退席されて、その夫大楯連を召び出し て(大后が)仰せられるには、
「かの王たち(女鳥王たち)は不敬によって退けられたのである。これは異常なことで はない。お前らもである、己の主君の手に巻かれていた玉釧を、肌も温い間に剥いで持 ってきて、直ぐに己が妻に与えるとは」
と仰せになって、すぐに死刑を行われてしまった。
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