△古事記 下巻 大雀天皇(仁徳天皇)
 
〈皇后・石之日売命〉
 天皇は、大后が山代から上って行かれたとお聞きになって、舎人、名は鳥山(とりや ま)と云う人を遣わしたときに、お送りになった御歌、
「山代に いしけ鳥山 いしけいしけ
あが愛し妻に いしき遇はむかも」
 
 また、続いて丸邇臣口子(くちこ)を遣わして、歌われるには、
「みもろの その高城なる 大韋古が原
大猪子が はらにある
きもむかふ 心をだにか 相思はずあらむ」
 
 また歌われるには、
「つぎねふ 山代女の
木鍬持ち 打ちし大根
根白の 白ただむき
まかずけばこそ 知らずとも言はめ」
 
 さて、この口子臣がこの御歌を申す時に、いたく雨が降っていた。それでも、(口子 が)雨を避けずに御殿の前の戸に参り伏せたら、(大后は)後ろの戸に出られ、(口子 が)後ろの戸に平伏したら、(大后は)行き違いに前の戸に出られた。
 そして(口子が)這い進んで来て、庭の中にひざまづいたときに、雨水に腰まで浸か った。臣は、紅い紐をつけた青摺りの服を着ていたが、雨水が紅い紐に触れたので、青 色の服が紅い色に変わってしまった。
 ところで口子臣の妹口日売(くちひめ)は、大后にお仕えしていた。それでこの口比 売が歌うには、
「山代の 筒木の宮に
物申す あが兄の君は 涙ぐましも」
 
 ここに大后が、その訳をお尋ねになったときに、
「僕の兄、口子臣である」
と申した。
 そこで、口子臣と妹口比売、また奴理能美の三人が相談して、天皇に申し上げさせて 言うには、
「大后がお出でになった理由は、奴理能美が飼っている虫が、一度は這う虫になって、 一度は殻(繭)になって、一度は飛ぶ鳥(蛾)になる、三色に変わる珍しい虫である。 この虫をご覧になるためにお出でになっただけなのである。決して反逆心は持っておら れません」
 このように申すときに、天皇が仰せられるには、
「それなら、自分も珍しいと思うので、見に行こう」
と仰せになって、大宮から上ってお出でになって、奴理能美の家にお入りになったとき に、その奴理能美は、己が飼っている三種の虫を大后に献上した。
 そこで天皇は、大后の居られる御殿の戸口にお立ちになって、歌われるには、
「つぎねふ 山代女の
木鍬持ち 打ちし大根
さわさわに なが言へせこそ
うちわたす 八桑枝なす 来入り参来れ」
 
 この天皇と大后とがお歌いになった六つの歌は、志都歌(しづうた)の返歌(かへし うた)である。
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