GLN「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」世界遺産登録推進

山と水

<未定稿>
◇快適な居住条件とは
 人々の居住に適する条件として、次のことが考えられる。
@「食料」確保が容易であること
A近くに飲料水(生活用水)があること
B生業の場所(狩猟や山菜野菜・木実や果実などの採取)の近くであること
C日当たりが良く、ジメジメしていない所
D住居を築造するためには、ある程度の平地が確保出来る所
E風水害(不可抗力な天然災害)の被害を及ぼさない安全な所
F地すべりなどの危険の及ばない所(基岩など岩石があり、地盤の強固な所)
G外敵(敵対するヒトの集団)に備え、見通しが良く、かつ防御(隠れる)に都合の良い所
※参照:どこに住んでいたのか?

 即ち、これらの条件を満たす所としての、わが国の典型的な例は、四方を山に囲まれ、裏山があり、裏山から日々の食料を調達し、かつ生活用水が涸れることなく流れる所であろう。

 世界的に概観しても、人間と山(山と水)との関係は、切っても切れない関係にある。
 よって、山を崇拝することは、自明の理である(一神教を旨とする国のうち、一部の国を除く)。

 なお、断っておくと、たとえば富士山や岩手山・岩木山などの独立峰を鳥瞰的にみるとき、それらの大山はとてつもなく大きい。大山は、天のように人々を圧するもの ‐ 神々として信仰されることもある。
 即ち、大山と人々との関係は、縄文人に限らず、人類本来の普遍的なもの ‐ 観念〜信仰 ‐ である。私共は、山を意識しないで生活できない。


◇山と水
 筆者は、もっと身近な山(裏山)について、言及してみたい。

 たとえば、大森勝山遺跡(青森県弘前市)も、十腰内遺跡(青森県弘前市)も裏山は岩木山(大山)である。岩木山は、それぞれ天のように聳えて見える。もはや裏山とは認識されない。
 大湯環状列石については、食料を調達できる裏山は見当たらない。しいて特定しようとすれば、大森山か諸助山であろうが、どちらも象徴としての大山とは考えにくい。

 ところが、大森勝山遺跡のすぐ近くには大森山、十腰内遺跡のすぐ近くには伝次森山、そして大湯環状列石のすぐ近くには黒又山がある。それぞれの遺跡での祭りは、すぐ近くのこれらの小山を通して、天〜大山に比定される神々への祭りを行っていたのであろうか。
 しかし、伊勢堂岱遺跡には、このような考え方は適用できない。

 ただ、あまり遠くない所に、生活用水に利用できる流水(川〜沢。水場)があると云うことである。

◇水場までの距離
 大湯環状列石も、伊勢堂岱遺跡も、水場からあまり遠くない所に造られている。その距離(二、三百米か)は、夏場はどうにかなるが、積雪期には水を汲む作業はとても難儀するし、不自然(非効率)である。これらの遺跡内又は周囲に、縄文人が居住していたとは考えにくい。祭りのときとか、臨時に集会して飲食するときなら、現在でも、結構不便な所に神社が鎮座し、そこで祭りが行われている。

 このようなことから、縄文人の居住地は、遺跡にも近く、かつ水場にも比較的近い所(水場の傍)であったと考えられる。

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