(六)裸まいり 稲荷神社の中は二間四方ほどの畳敷きである。裸まいりの装いを考慮し て、ここでは立礼でお参りする。そのため、わらじ履きでも汚れないよう に、シートが敷いてある。 稲荷神社に到着すると、神前に注連縄を飾ったり、初穂料や柳樽のお神 酒を供え、ロウソクを灯して神前を整える。 団旗や旗は神社の前に立てかけてある。 宮司は、「高天原爾神留坐須 皇賀親神漏岐 神漏美命以弖……」と祝 詞を奏上する。祝詞の主旨は、旗に書いてあるように五穀豊穣……などの 祈願のように聞こえたが、われわれ調査員は神社の外にいたので、はっき りしたことは分からなかった。祝詞奏上の間は、一同は合掌して祈念する。 祝詞奏上が終わると、男衆一同は宮司に合わせて拝礼をする。 稲荷神社の境内の右手には、小さな社の唐松神社が祀られている。唐松 神社は安産と子授けの神様として、女性たちの間に厚い信仰があるが、裸 まいりは男性の神事につき、この唐松神社を拝礼することはない。しかし、 注連縄だけは奉納することとしている。 唐松神社では、神前に注連縄を張り渡しただけで、裸まいりの一行は引 き返して、次の八幡神社へ向かう。 次は八幡神社へのお参りである。八幡神社は、稲荷神社への参道の、葛 折坂の途中にある。この神社は参道に面して、ほぼ北西向きに建っている。 八幡信仰とは、八幡神に対する信仰で、わが国で最も普及した信仰の一 つである。 この信仰の本源は、九州の宇佐八幡宮と一般にいわれている。これが中 央に進出するのは、奈良の大仏鋳造に関しての聖武天皇の請いに宇佐八幡 は、大仏鋳造を授けようと託宣したと伝える。このことにより宇佐八幡宮 は、国家の大事業に関係することとなった。よって、天応元年朝廷から大 菩薩号を贈られ、神仏習合の先駆となった。 貞観二年、僧により山城国岩清水に勧請された。この時より祭神を応神 天皇・神功皇后であるとの説が広まり、王城鎮護の神として崇められ、伊勢 の神宮に次ぐ第二の宗廟と称せられた。 やがて、清和源氏の氏神ともなり、武家政権の成立と共に武神的性格を 帯び、八幡は武人に厚く信仰されるようになった。 一方、処女懐胎・聖母神子の母子神伝承を基底として、一般民衆の間に広 まり有力な神格として全国的に祀られるに至った。 鹿角地方には、八幡神社(八幡宮・八幡様)も、ほぼ全集落に祀られて いる。 その中で主な八幡神社は、鹿角市八幡平字東館、同尾去沢字尾去、同花 輪字小平、同八幡館、同高沢、同十和田山根字館ケ沢、同十和田大湯字関 上、同十和田錦木字沢尻、および小坂町字下小坂、同荒谷に鎮座し、それ ぞれ宗教法人登録している(平成十六年一月現在)。 八幡神社では、神前に注連縄を張り、初穂料、柳樽のお神酒を供えるな ど、神前を整える。 社殿は間口二間、奥行き三間半ほどで、汚れてもよいようにシートが敷 かれている。 以下、宮司の祝詞奏上のうえ、男衆一同は宮司に合わせて拝礼をする。 |