引き返して裸まいり一行は参道の坂を下り、土深井沢川を渡って第二の 鳥居を出る。 団旗、旗、宮司の順に、男衆が続く。口には、口紙をしっかりくわえて いる。背中からは湯気が立っている。勇壮に進む男衆の一行を、目の当た りにするカメラマンのまなざしも真剣である。 第二鳥居を出た辺りで、団旗と旗は世話人の手に渡される。団旗や旗は 第一鳥居での記念撮影のときに飾られるためである。 ここで、最後尾の男衆を除いて全員が腕を組んで参進する。最後尾の若 衆は、左手にしっかりと柳樽を奉持している。柳樽をしかと持っているた め、脇の下はしめられない。大分身体も冷えてきているようだが、勇まし く若々しい足取りである。 裸まいりの一行は、土深井沢川に添って上流へ進み、山麓にある集会所 の左脇を通って、駒形神社(蒼前様)へ到着する。 その日の天候が寒くて、雪がさらさらと降る日は、身体に降った雪は滑 り落ちて、寒さにも平気であるとされる。しかし、濡れ雪の降るような暖 かい日は、雪が身体にくっついて、ひときわ寒く感じるという。 今の天候は曇りで小雪も見える。風が幾分落ち着いたとはいえ、だんだ ん冷え込んできた。 見物人、とくにカメラマンたちの中には、悪天候のときに悪戦苦闘しな がら力む男衆の表情を撮影したいと目論んでいる者もあるで、天候のよし あしは、この行事の盛り上がりの一つの因子ともなるようである。 鹿角地方においては、産馬は古くから行われ、その馬の守護神とされた きたのが、駒形神、蒼前神(宗膳・勝善・相染とも)、馬頭観音である。こ れらは神仏習合により、元は何を祀っていたのか判然としないものが多い。 駒形神は、関東箱根以北及び東北地方に祀られている馬神信仰である。 朝鮮半島から移入された信仰であるとの説もある。 ソウゼン神は、東北地方に信仰圏を持つ特異な馬の守護神である。この ソウゼン神は、北方交易によってもたらされた異国(北方遊牧民)の馬神 とする見解がある。北奥羽の日本海側に面した地域は、古くから北方交易 が行われ、朝鮮からの難破船が出羽国に漂着したことも、何度か史料に現 れている。津軽の安東氏が貞応元年(一二二二)に馬を輸入したと伝えら れるが、馬の輸入はもっと早くから行われ、それに伴って馬神(ソウゼン) の信仰も伝えられたとされている。 土深井の駒形神社も、同様に祀られてきたものと思われる。この神社も 土深井を守るように土深井集落の方、すなわちおおむね北西を向いて建っ ている。 ここの地名は崎山といい、神社名を崎山駒形神社という。 鹿角地方には、駒形神社(蒼前様)は、ほぼ全集落に祀られている。 その中で主な駒形神社は、鹿角市十和田大湯字一本木、及び小坂町上向 字勝善平に鎮座し、それぞれ宗教法人登録している(平成十六年一月現 在)。 駒形神社でも、神前に注連縄を張り、初穂料や柳樽のお神酒を供えるな ど、神前を整える。 社殿は一間半四方ほどで、ここにもシートが敷かれている。 以下、宮司の祝詞奏上があり、男衆一同は宮司に合わせて拝礼をする。 神社の中は狭いので、男衆たちは互いに肩を寄せ合い身体を密着させて お参りしなければならない。同時に、身体が触れ合うことで、寒さしのぎ にもなるし、男衆同士の親近感も醸成されるものと思われる。 次は裸まいりの最後の山神社である。駒形神社の背後の山腹に、山神社 の祠がある。石造りの小さな祠である。この祠も土深井を守るように土深 井集落の方、すなわちおおむね北西を向いて建っている。 山の神(山神社・山神様)は、古典には大山津見神(大山祇神)とされ、 山の神霊、山を領する神と考えられたが、火神迦倶土の体から正鹿山津見、 淤縢山津見、奥山津見などの諸神が誕生しているので、大山津見はそれら 諸神を統括する神であったものと思われている。 愛媛県大三島町の大山祇神社は、延喜式の大山積神社であり、大山津見神 を祭神としている。 民間で信仰される山の神には、農民と山林業・狩猟者の場合で異なるが、 その伝承内容は多様である。農民の信仰で普遍的なのは、山の神が農耕神 でもあるという伝承である。 すなわち春は山から降って田の神となり、稲作の守護を終えて秋の終わ りに山へ帰って山の神になるという去来信仰である。この信仰は山は他界 であると観念する神社や民間の諸儀礼に象徴的に表現されているが、その 分析からいい得る点は、山の神は山中に常在する祖先神で、春秋両季の祭 りに来臨する儀礼を基盤にしていることである。 農民の信仰する山の神と、山林業・狩猟者のそれとを、明確に区別するこ とはできないが、農神との関係を説く伝承がないこと、祭日の違うこと、 また禁忌伝承が後者に多い。後者には神供が特徴的に伝承され、また特定 の樹木が祭りの対象となり、祖先神的観念がないことないし希薄性などを 挙げることができる。 山神社でも、神前に初穂料を献じ、お神酒を残らず供える。 祠の左わきには、目通りは五十センチメートル、高さ十七メートル以上 もあろうかと思われる赤松の巨木がそびえている。地元の人々は、この赤 松を神木として崇めている。祠の前、すなわち左手のご神木と右手斜面の 小木とに注連縄を張りわたす。 準備が整うと、宮司の祝詞奏上のうえ、男衆一同は宮司に合わせて拝礼 をする。 そして、各自思い思いにザンバラを取り外してご神木に結わえつける。 元気な掛け声をだして、神木に鉄砲をする。ご神木が太くなってきたので 、鉄砲もやりがいがあるという。 鉄砲とは、相撲の鍛錬法の一つで、柱などに対して張り手(もろてづき) を行うことである。 ここ土深井集落はその昔、相撲の盛んなところであったという。そのた め血気盛んな若者たちがたくさん住んでいたので、このような裸まいりが 行われるようになり、また伝承されてきたものとも思われる。 すなわち、鉄砲することによって身体を丈夫にし、かつまた神木(山の 神)のご神徳をいただくものであろう。 当日使わなかったわらじなども、後刻結わえておくとのことである。 |