「松館今昔:様々なこと」

米俵

 米俵(タラ)を編むのは、母の役目であったが、それ以外のことは、いろいろと手伝った。
 まず、ミゴ取りである。ミゴとは、稲ワラの穂の付いている、細くて堅くて丈夫な穂先 の部分を云う。ワラの元の方を二つ折りにするなどして足で押さえ付け、穂先を一〜数本 ずつ抜き取る。中々力のいる、要領を必要とする作業である。そのミゴを打つには、 霧を吹きながら、全体が柔らかくなるまで丁寧に打つのであるが、穂先の部分が すれてしまうほど打たなければならない。
 このミゴで縄を綯い、俵を編むのである。
 
 サンダラ(桟俵)は、私も編んだ。シビを抜いたワラ一把の中程を結び、 結び目を境にして上下をパラッと丸く広げて下に置き、直径一尺五寸程度(?) になるように、足で押さえながら丸く編んでゆく。
 これらの米俵は、米検査員か誰かの検査を受け、検査済みのハンコを 押してもらわなければならなかった。
 
 さて、足踏み脱穀機でイネゴギ(脱穀)した籾は、手回しトミ(唐箕)の風で 塵埃やシナ(実のらない籾)を取り除き、ヘロ(井籠のことか)へ収納する。
 籾を玄米にする作業工程を、フルシフギ(籾摺り)と云う。 フルシフギは、近くの専門の人にお願いしていた。
 イネゴギも、トミ掛けも、フルシフギも、ほとんどが夜の仕事であった。私ら子供の 労力を活用するためであった。
 なお、脱穀した後のワラは、確か一丸(ひとまる)十八把ずつに束ねて、マギ (万木か。屋根裏)に積み上げておく。
 
 フルシフギが終わると、その玄米を米俵に入れて、供出となる。正味十六貫(60kg) の米俵の、胴の五カ所と、縦に十文字に縄を掛ける。それを担いで積み上げる。 体重40kg少々の私には、きつい作業であったが、私しかやる人はいなかった。
 
 古い米俵には、エモ(ジャガイモ)を入れて出荷した。尾去平から運んだ エモを選別して、幾つかの階級ごとに詰める。重さは一俵十三貫であったろうか。 これも、米俵と同じく、胴の五カ所と、縦に十文字に縄を掛ける。
 罹病したように見えるエモには白い石灰を掛けたり、仲買業者は 産地をH道としたりなど、いろいろ工夫したようであった。

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