「松館今昔:様々なこと」

炭俵

 炭俵(シミダラ)は、萱と細い荒縄で編むが、編むのはもっぱら母の仕事であった。 編んだ炭俵の殆どは、販売用であった。
 まず秋の遅くならないうちに、部落から分けてもらっている萱野へ行って刈る。 母はくじ運が良くないので、萱野も一番上の方にあった。 今は杉の造林地になっている。
 刈り方は、萱の茎は非常に硬いので、確か一握りして、それを向こうに倒すよう にして刈ったと記憶している(胡麻を刈るときも、このようにして刈ったかな?)。 直径七八寸程度を一把として、別に刈った萱で束ねる。 刈った萱は、その場にニヨ(ニオ)にまとめておく。
 秋遅く、乾いた萱を背負ってきて、家の前の畑にニヨにしておく。
 
 部落有の松館の山を各自の炭山に分配することもあった。 或いは、タキギ山のうちの太い樹木を炭に焼いたのかも知れない。
 炭焼きは、親戚の義叔父さんにお願いしていた。私の役目は、山の窯場 から炭俵を背負うことであった。確か一俵四貫(15kg)であったと思うが、 私は一俵だけしか背負わなかったかも知れない。義叔父さんは 一俵を横に背負い、もう一俵をその上に立てて背負うのであった。
 
 焼いていただいた黒炭の中には、シミガシラ(炭頭か)があることもあった。 シミガシラとは、まだ完全に燃焼しないうちに窯止めして炭にしたもので、 炭に熾すと煙の出るものを云う。シミガシラは売ることが出来ないので、 もっぱら自家用にされた。
 なお、築窯のこととか、炭焼きのことなどは、私はよく分からない。

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