「松館今昔:様々なこと」

田の水

 子供の頃(中学生のときか)、早朝、田の水を見るのを日課にしていた。
朝日を背に受けると、朝露に光る早苗の上に、自分の頭部に後光が刺したよう な影が映る。神秘的であった。何事もなく、朝の田の水の見回りは終わった。
 下校帰宅後、また田の水を見なければならなかった。だから、放課後学校に 居残って、補習をしたり、遊んだりなどすることはなかった。
 ここヒドロ(後ロ田)一帯は、慢性的な水不足に悩まされていた。私の家の田んぼは、 田の尻の方にあったので、他所の田んぼから余った水を利用するようになっていた。 この時期は、そのような余り水など全くない。田んぼは、ひび割れしている。 そこで果敢にも、堰の上ミにある他所の田んぼの水口を調節してみたり、隣のタノクロ(田の畔)に人工?のネズミの穴を通したりして、「我田引水」したこともあった。
 
 このような水不足問題を解決しようと、関係者は知恵を働かして、 時間を決めて引水をすることとした。反別に比例して、引水の量や時間、 例えば、甲の田んぼは何時何分から何時何分まで、と云う風にした。 ところが、私の家の田んぼは全部で五反歩足らずで、二団地あり、何れも、 いわゆる「田の尻」にあるので、前の人の田の水口から、私の田までの堰の距離が 長いので、そこを通る時間や浸み込まれる水の量は大変な損失になる。それでも何とか 引水したものであった。
 
 そんなことから、後には下タ川(シタカ。黒沢川)から、電気ポンプで揚水して 水不足を解消することとなった。

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