「かまのふた」とは、地獄の釜の蓋(ふた)のこととされる。 旧暦七月一日は「釜蓋朔日(かまぶたついたち)」と云い、この日に地獄の釜の蓋 が開くのである。 この日に地獄の釜の蓋が開いて、百万憶土の焦熱地獄にあえいでいた亡者たちが、 許されてこの世に帰る仕度を始める。 つまりこの日を始めとして、お盆の様々な行事が行われることになる。 ところで、ここ松館では、何時頃からであろうか、冬期間に「かまのふた」 を催している。この時期は旧正月〜節分と立春〜雛祭りで、古来、追儺(ついな)、 つまり悪鬼・疫癘(えきれい)を追い払う行事が行われる。また、農閑期でもある。 そのようなことから、松館では「かまのふた」を冬期間に行ってきたものであろう。 ここで指摘したいのは、仏教行事と神道行事とが習合(しゅうごう)していた江戸時代から、 神道と仏教とを分離しようとする明治政府の命により、元々本務であった法光院法印(当家) では神道に専念することとなった。「かまのふた」も本来は仏教行事であるが、 法印家では神道形式で行わなければならなかった。そこで、名称は「かまのふた」とし、 行事の内容を神道指向へと変えられていったものと考えられる。 即ち、 @ご祭神菅原道真公は幼い頃から病弱で、母上はそれを案じて、 ひたすら観音様を信仰していた。 母上が亡くなるとき、「お前は観音様のご慈悲でここまで生きこられた。 なんとか観音様を本尊とする寺院を建立するように」と言い残した。 Aこの時期(冬期間)は追儺の時期でもある。 そこで、現在の「かまのふた」は、これらのことを勘案して、 @行事の内容を「観音札報賽(ほうさい)の儀(いやわざ)」としている。 A大祓え人形(ひとがた)で、この一年にまとわりついた罪や穢(けがれ)を お祓いすることとしている。 なお、大祓えとは、六月と十二月の晦日に、各人は人形に大きく息を吹き掛けたり、 人形で自分の身体を撫で回したりして、それを大川へ流し去ることである。 B当番宿は、持ち回りで二戸が担い、全戸(自治会の正会員)から1,000円と、参加者 から500円をいただいて賄うことにしている。 なお、昔は確か一戸で全てを賄っていたので、会席の料理も豪華で、 出費も相当なものであった。また、その外に自家製のアケビの殻っこ漬けや山菜料理、 甘酒等々も添えられた。 △「観音札報賽乃儀(かまのふた)」要領:平成11年以降 @日時 ひな祭りの日(三月三日)、又はその近くの日曜日 A法印方で準備するもの 「菅原神社」掛軸、燭台一対(蝋燭・燐寸)、大祓人形(形代六〇枚)、祝詞・祓串 B当番宿方で準備していただくもの 供花一対(季節の花を二束) 供物として、 一、白米 二、神酒(清酒一升) 三、@簡単な料理、A供餅、B果物少々、のうち一品 △次第 @会場 松舘改善センター A時刻 正午 B拝礼 修祓(しゅばつ。お祓い)・祭主一拝(降神の儀)・祭主祝詞奏上 ・当番宿二名代表拝礼(以下列拝)・祭主一拝(昇神の儀) 終わって、神酒拝戴、会食となる。 |
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