「松館今昔:天神講と集落の佇タタズまい」

はじめに

 「講」とは、宗教的な勉強会とか、行事や普請(ふしん)の計画実行とか、 視察旅行や団体参詣…… など、同じ主旨やある特定の目的をもって集まった集団(グループ)の活動 のことを云う。
 
 講は、鹿角辺りでは、昔から各集落毎に営まれており、通称「とっこ」と 呼ばれる。
 毎月とか、春と秋とか、年に一回とか、定期に開催され、その集会場として の「宿(やど)」は、持ち回り(廻り宿)の当番宿が勤める。 「とっこ」では、相談(儀式とか、勉強会など)の後、必ず酒肴で一同を もてなすこととなるので、 当番宿は大変な苦労をする。講中(こうちゅう。講の会員のこと)は普通、 何がしかの物 − 金○円とか、白米○合とか決められた参加費 − を持参して、 その宿へ出向く。
 
 ここ松館では、古来菅原神社を信仰してきているので、「天神講(とっこ)」 と呼んでいる。

 ところで、ここ松館の佇まい − 道路や宅地区画(家並み) − があまりにも「整然」としている。 鹿角辺りでは、松館のような、家並みを見ることはない。
 先人達が、どのような動機で、このような区画整理を敢行したのであろうか。 寛文三年(1663)二月十六日に大火事の教訓からであろうか。
 ご覧の皆さんのご意見をお願いしたい……。

[次へ進む]  [バック]  [前画面へ戻る]