GLN「鹿角篤志人脈」:相馬茂夫

山の枯木のつぶやき(4)

 またコンニャクの話しになるが、 私達がよく煮ても焼いても食えないやつだ、といったが、 その煮ても焼いても食えないやつは何んだか、今考えているが思い出せない。 とにかくコンニャクを生(とまではいえないが)で食う話しだ。 今スーパーなどに行けば、さしみコンニャクなるものを売っているが、 どうも私はさしみコンニャクの元祖であったような気がしている。 いつとはっきりしたことは思い出せないが、 子供の頃我が家でもコンニャクを作っていたことは先にもかいたが、八十年も前の話しだ。 思い出せないのは当り前だといばるわけではないが、 板コンニャクを適当の大きさに切ってサッと湯にくぐらせて、 酢正油だかカラシ正油だかにつけて食ったような気がする。 当時の我が家の状況を考えてみると、あり得ることだと思う。 その頃父親は鉱山に働いていなかったと思うので、 ロクスッポ魚もかえない、くらしていくためのむチエであったかもしれない。
 
 芭蕉(寛永二十一年〜元禄七年1644〜1694)といえば知らない人はいないわけだが、 こんな句があるという、「蒟蒻のさしみもすこし梅の花」。 我が家のさしみどころではない、三百年以上も前に芭蕉はさしみコンニャクで花見をしていた。
 
 ところで、コンニャクは砂下ろしに効果があるというのは、 我が金掘りのご先祖さまの大発見かと思ったが、江戸時代、富士山が大噴火した頃、 江戸庶民の間ではコンニャクは体内の砂下ろしに効果があるといわれていたという。 それは宝永四年(1707)富士山の大噴火のあと、コンニャク相場が急騰したという。 それは体内の「砂下ろし」に効果があると信じられていたコンニャクに需要が殺到した。 「宝永四年蒟蒻の値が上り」という川柳があるという。 それにしても火山灰にむせる江戸市民にコンニャクを提供するコンニャクやさんは大変だったろう。 茨城の藤右衛門さんがコンニャク粉を完成させる七十年くらい前の話しだ。 がそれはそれとして、コンニャクが砂下ろしに効果があるというのは、 江戸と鉱山の生活環境を考えてみると、 やっぱり我々のご先祖さまに軍配を上げなければならないと思う。いかゞですか。

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