GLN「鹿角篤志人脈」:相馬茂夫

山の枯木のつぶやき(4)

 さて話しは元祖物語りということになるが、二十四・五年前のことであったろうか、 若い頃鉱山の庶務課にいた人が、何ん十年ぶりかで奥さんを連れて尾去沢にきた。 十和田から八甲田の方にまわってみたいというので、私も一緒に行くことにした。 休屋まで行って一休みということで、ヒョイと見たら、「ミソ付け切りタンポ」の旗を立てゝ、 ミソ付けタンポを売っていた。切るから切りタンポで、 切らないでミソを付けたのはミソ付けタンポだと思ったが、 まあこゝは青森県だから仕方がないかと思った。 その後間もなく八幡平の大沼の方に行ったら、こゝでもミソ付け切りタンポの旗を立てゝいる。 大沼は岩手だったけか、鹿角だったけか、と首をひねって帰ってきた。 その後マインランド(現史跡尾去沢鉱山)に上って行ったら、 こゝでもミソ付け切りタンポの旗を立てゝいる。 ナンジャコリャと思ったが、私がとやかくいう筋合いでもないので、そのまゝ帰ってきた。 たしか花輪のミツワさんでは、「元祖ミソ付けタンポ」の旗を立てゝいたと思って、 花輪に行ったとき見に行った。 チャンと元祖の旗を立てゝいた。これで“よし“と思った。
 それから二・三ヶ月して私に縁のある人が亡くなった。お悔やみに行ったら、 ミツワの社長さん(柳沢主税さん)も来ていた。 そこで早速お願いした。今どこに行っても「ミソ付け切りタンポ」といって売っているが、 貴方のところでは「元祖ミソ付けタンポ」で頑張っているから、是非世の風潮に負けないで、 元祖ミソ付けタンポの旗を下ろさないで頑張って下さい、とお願いした。
 最近鹿角でやる色々なイベントなどでも、いつの間にかミソ付け切りタンポの旗がなくなって、 ミソ付けタンポで売っている。よしよし我が意を得たり、とたまにはそのミソ付けタンポを買ってくる。
 
 去年の秋、その元祖ミソ付けタンポの柳沢社長さんが亡くなった。 私はミソ付けタンポだけでなく、ほかの縁もあったので、敬意を表して葬式に行ってきた。 柳沢さんも病気には勝てなかったナー、とうとうあの「元祖ミソ付けタンポ」の旗をかついで、 あの世に行ってしまったかと、ご冥福をお祈りしてきた。
 この間ミツワさんの前を通ったら、何かいつもと違うような、 何にか足りないような気がして立ち止まってみたら、「元祖ミソ付けタンポ」の旗がない。 アレー主税さん、本当に元祖の旗をかついで行ってしまったのかと思った。 本当のところ、いつから外してしまったかわからないが、私達の頭の中には、 いつもあるもんだという考えがあるので、普段は特に気をつけない。 私達の心の中にはいつもあの旗が立っている。 旗を下ろしたのには、それなりの理由があったかもしれないが、鹿角の一つの象徴、 風物詩として、是非新しい元祖の旗を立てゝもらいたいものだと思っている。
 
 この間花輪のおみせに入ったとき、味噌付けタンポが一パックあったので、 元祖の旗のこともあったので、何んとなく気になって取って見た。 「ミソ付け切りタンポ」とあった。なんじゃこりゃと思って、 別のおみせに行ったら、こっちは「ミソ付けタンポ」とあった。これでよしと思ったが、 今度は町の方が気になる。そこで、「花っこ市」に行ってみた。 タンポやさんは一軒も出ていなかった。
 
 今度は歩行者天国だ、と思っているうちに、その日が来たので早速行って見た。 三軒より出ていなかったが、みんな「ミソ付けタンポ」で売っていた。 ミツワさんも「秋田名物ミソ付けタンポ元祖ミツワ」の旗を建てて頑張っていた。 私ももう何年も行っていないので、最近のことはわからないが、 前はもっと多くのタンポやさんが出ていたような気がする。 今年は三軒だけ、「やきそば」「やきとり」「タコやき」などのお店はいっぱい出ていたが、 私達にとっては何にか物足りないというか、淋しいというか、これも世の移り変りかと思ったが、 子供達は楽しそうだった。

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