GLN「鹿角篤志人脈」:相馬茂夫

山の枯木のつぶやき(4)

 この「山の枯木のつぶやき(4)」は、平成22年7月20日付けのチラシです。
 
山の枯木のつぶやき(4)
○NHK学園全国俳句大会見事落選の記
 ○元祖物語り 二題 @ミソツケタンポ  Aなんこかやき
  (付)よろけ坂
 
  落選の記
 それはもう一昨年ということになるが、平成二十年の九月の何週目であったか、 NHKで俳句教室をやっていた。何んとなく見ていたら、 今年の全国大会の題は「空」だという。 句の中に空という字が入っていればいゝということだったので、それなら私にもメイクがあると思った。 それは、五〜六年前のこと、秋の雲一つないすっきり晴れた日であった。 道ばたにも家々のまわりにも真赤なサルビアやカンナの花が咲いていた。 米代川沿い道をその空を見上げて歩いていると、ふと心に浮かんだ「碧空に真紅の花の燃えにけり」、 天上の澄みわたった碧と地上に燃える赤い花の色が空の彼方に一つにとけこんで、 心が吸いこまれるような感じがした。そのまゝ心の中にしまっておいてワスレテイタが、 これでよし、一位間違いなしと思った。
 
 ところで自由題というのが二句あった。 ついでだからというのは失礼ないゝ方だが、晩酌一升節約したつもりで(一句手数料千円)考えてみるか、 と思った。 私は小学校(高等科)を卒わると毎日よろけ坂を登って鉱山に働きに行った。 といっても最初の十年くらいは、山かげ(下タ沢)から通っていたが、 秋になると仕事が終って、帰る頃は五の宮は夕日に映えてうす紫というかピンクというか やわらかいきれいな色に染っている。 山は夕焼け、と歌うわけではないが、何にかほのぼのと心が満たされるような感じがして、 今日も終るか、とその山並みを眺めながら帰ってきた。
 
 秋田県で花いっぱい運動をはじめたのは、いつ頃からであったか思い出せないが今も続いている。 八幡平地区の人達が米代川の川沿いに、八幡平に行く国道脇に約四キロにわたってサルビアや マリーゴールドの花など植えている。 八幡平に行く人来る人の目を楽しませ心をなごませながら、十和田湖とつないでいる。 県表彰(秋田県)や何んとか大臣表彰も何度かもらっている。 今も地区のオカーサン達が頑張って続けている。 尾去沢の山々に沈んでゆく夕日が、この花に映えて一つにとけ合って虹を思わせるやさしい色に、 五の宮を染める「五の宮の夕焼け染めて花ロード」。 私は横文字はもちろん片仮名言葉も全然だめだが、 何にか八幡平の方で「フラワーロード」とかいってるみたいなので、この言葉を借りてみたが、 何にか私自身モヤモヤっとしてストンとこない気もするが、まあいゝや、 夕焼けも夕映えも区別つかない頭アンバイだ、これでよし、とするかと思った。
 
 それはそれとして、自由題にはもう一句応募できる。 また一升節約するのは一寸惜しいような気もしたが、 こゝは一つふんばって我ふる里を宣伝するか、と思った。 その頃鹿角観光協会などが中心になって、尾去沢鉱山を出発点として平泉につながる、 「黄金歴史街道キャンペーン」というのを展開している。 尾去沢から出た金が遠く運ばれて奈良の大仏さんを塗った話しは別として、 奥州藤原氏百年に及ぶ平泉の黄金文化を築いたのは事実だろう。 その象徴として今に残るのは、日本の国宝第一号といわれる金色堂だ。 八幡平の花の道をたどりながら、この歴史の道を行けば、やがて金色堂につながる。 歩いて行くのは少し遠いナーと思ったが、急ぐ道中でもないし、楽しみながらゆくか、 と、そこで一句「花の道金色堂の夢はるか」。 まあ無理して芭蕉先生を起こしてくることもあるまい。 何?、今度はロードでなくて花の道かって、芭蕉の頃はロードという言葉はなかったんだ。
 
 よし、これで三句そろった。一・二・三位間違いなし、と思った。 ところがその時期になってもウンともスンともいってこない。 哀れ門前払い。あたり前の話しだ。 大体私は俳句など作ったこともない。季語とか歳時記とかいうものがあるということは聞いているが、 読んだこともないし、何にがどうだかもわからない。 私の俳句に対する知識?といえば、小学校の頃習ったような気がする「古池や蛙飛び込む水の音」 =ドボン(私の感想)。 雀の子そこのけそこのけお馬がとおる=チュン、チュン。 やれ打つな蝿が手をする足をする= ナミアムダブツ、といったところだ。 首をひねって考えてみたところで、俳句も川柳もどう違うのかもわからない人間が 十七字ならべてみたところでまともなものができるはずがない。

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