GLN「鹿角篤志人脈」:相馬茂夫

山の枯木のつぶやき(4)

  元祖物語り
 (2)なんこかやき
 この頃、あっちこっちで馬肉の煮付けを売っている。 花輪の市日にも出ている。 史跡尾去沢鉱山の鈴木さんが、尾去沢鉱山伝統の食文化「なんこかやき」がこのまゝだと、 元祖の株をよそにとられてしまう、なんとかしなければ、と心配している。 私も大いに同感なので、大至急「元祖なんこかやき」の旗を立てようと話し合っている。 なんこかやきは、鉱山につきもので、よその鉱山でも食べられているようだし、 一般の人の間にどんどん普及していくのは一向にかまわないが、トンブリや切りタンポにしてもそうだ、 みんなよそに「元祖の旗印」をとられている。こと「なんこかやき」については、 尾去沢鉱山が元祖なんだという鉱山伝統の食文化を守るために、その旗幟を鮮明にしておきたい。 といっても専売特許のようによその人は勝手につくるなということではなく、 たゞなんこかやきは、尾去沢鉱山が発祥の地というのは少し問題があるとしても、 金掘りといわれた人達がその健康のために昔から食べていた。 それは商売にして売るためのものではなく、 自分達の生命を守るためになくてはならない栄養源として大事に食べていた。 長い鉱山の歴史の中に生きてきた伝統の食文化として、単なる馬肉の煮付けではなく、 苛酷な条件のもとに働く鉱山の人達の生命の糧であった。 その思いを新にし、伝統の食文化として守っていきたい、 元祖の旗は自分達の権利を守るための旗ではなくして、 皆さんと共に鉱山の伝統文化を守るための旗として建てゝいきたい。
 
 ところで、なんで馬肉を「ナンコ」といったろうか、どうひっくり返してみたところで、 馬肉はナンコにならない。 尾去沢にはこんな話しがある(マインランド・ブックス第二集)。 南朝の忠臣といわれた楠正成(大楠公)が敵軍にかこまれ、兵糧攻めにあい、 食糧が絶えてどうにもならなくなり、やむを得ず戦にはなくてはならない馬を食べたという。 このことが事実かどうか不明だが、そこから馬肉料理を楠公料理という話し、 そこで私は「ナンコウ」が時と共にウがとれて、「ナンコ」になったろうと。 続いて珪肺(けいはい)の話しをかいております。 この吸い込まれた粉じんを除去するのによいとされて、こんにゃくをよく食べたという。 このこんにゃくは馬肉とよく和うという話し。
 
「よろけ」はどこの鉱山にもあったと思う。 鉱石の細かい粉じんを吸い込むことによっておこる肺の病気だ。 ゴミを吸わなきゃいゝわけだが、そうもいかない。 今のようなマスクもない時代だ。鼻ほっかぶりではどうにもならない。 そのゴミがまた腹にも直接入ってくる。今の言葉?でいえば、便秘をおこす。 便が出なくて腹がはってたまらない。ところがコンニャクを食うと便通がよくなって、腹もすっきりする。 そこでコンニャクのことをゴミ流しとかゴミ掃除とかいってよく食べた。 医学的にどうのこうのということは知らなくても、経験的に知っていたのだろう。 このコンニャクは、ナンコによく合う。 でナンコかやきといえば、必ずコンニャクを入れた。栄養分と薬分だ。 外にトーフを入れようと野菜をいれようとかまわないが、 コンニャクを入れなければナンコかやきとはいえない。 コンニャクが主役として入っていないのは、単なる馬肉の煮付けで、 尾去沢鉱山伝統の食文化としてのナンコかやきとはいえない。 というのは私の(だけではないと思う)説として。

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