GLN「鹿角篤志人脈」:相馬茂夫

山の枯木のつぶやき(2)

○尾去沢鉱山最後の銅精鉱
 尾去沢鉱山も閉山してもう三十一年目(現在平成21年7月)、 早いものでだナーと今更のように思う。 私達は閉山三年目、七年目、十年目(実際はコスモアドベンチャーの完成を待って十一年目)と 尾去沢鉱山を偲ぶ会をやってきた。 二十年目のときは元労働組合の幹部の方々が計画して古遠部、 松木と併せて三山を偲ぶ会を開催した。
 この二十周年のときに何にか閉山のときは私達もこうして頑張ったよ、こんな事もあったよ、 と話しの種になるようなものはないかと考えて、 当時(閉山の頃)私は保安事務局の仕事もしていたので、 怪我をするな、事故を起すなという立場から「保安ニュース」とか、 「災害事例速報」とかいうものを書いていた。 その中から当時の状況を少しでもわかっていたゞけるようなものがないかと拾い出して 「閉山こぼれ話し」としてまとめてみた。 がそれは何んだか自分一人で力きんで、いゝ気になって、という気がしてきて 子供や孫にでも残しておいてやるかと皆さんに配るのはやめてしまった。
 その中に「最後の銅精鉱」という一文があり、こんなことを書いていた。
 
 「私は朝早く家を出て銅精鉱のあるところに行ってみた。 これが小坂鉱山に積み出されると尾去沢鉱山の形見の品が私達の手には何んにも残らなくなる。 できれば小坂鉱山にお願いして、もちろん小坂鉱山の溶鉱炉には尾去沢だけではなく 外の鉱山の鉱石も入るだろうが、それでもいゝ、これが尾去沢鉱山最後の銅だと、 カケラッコでもいゝから欲しいものだと思った。 がそれはとうてい無理なことだと思ったので、せめて銅精鉱だけてもと思い、 ナイロンの袋を見つけてきてスコップ一杯謹んでいたゞきとした。 しばらく鉱山の倉庫にそっと置いていたが今は私の家の物置きにミカンの箱に入ってねむつている。 これをどうしようかと思っているが、いゝ知恵も浮かばないまゝにしている。
 ということで丸佐のトラックがきて銅精鉱を積みはじめる。 みんなで最後の写真を写そうといったが、例によってたゞ写したんでは何んの写真かわからなくなる と思って、積んでいる間に大至急鉱山の保安週間などの行事に使っていた立看板があるので、 それに「尾去沢鉱山最後の銅精鉱・小坂鉱山製錬所向発送・昭和五十三年十月六日、尾去沢鉱山」 と三行に書いてはってそれをトラックに立てゝ写真を写した。 「長い間ご苦労さんでした」と南社長が丸佐の運転手さんにお礼のお酒を渡して、 トラックはみんなの拍手に送られ小坂鉱山目ざして走り去って行った。
 その後を追うようにして南社長と高杉課長は小坂鉱山にお礼のあいさつに出かけて行った。」
 
 社長が小坂鉱山にでかけるのに少し時間があったので、カケラッコでも欲しい思いを捨てきれず、 おそるおそる社長室にでかけて行った。 私もとうてい無理だとは思いますがとカケラッコでもいゝからと欲しいと話し、 社長もそれは無理だろうナーということで、この銅精鉱が私達の手に遺された尾去沢鉱山最後の製品、 千三百年の歴史の形見となった。
 
 今、鉱山資料舘に大きい銅板(粗銅)がかざってあるが、 あれは小名浜製錬所で作ってもらったものだという。 尾去沢に製錬があった頃(昭和四十一年三月廃止)、あれと同じようなものを作り (形は同じだがもう少し肉厚だったよう気がする。品位は九八%くらい、 金銀など外の金属も含まれている)、大阪製錬所に送り電気製錬にかけられて純銅 (品位九九.九九%)に仕上げられた。 尾去沢の銅精鉱(品位二〇%くらい)は製錬廃止後小名浜に送られていたと思うが、 いつ頃から小坂に送られるようになったか私にはわからない。
 
 昨年元旦、五十枚(山)に登ったとき、尾去沢鉱山千三百年を記念して作った手拭に、 こんな文句を書いた。 「尾去沢鉱山、和銅元年(七〇八)発見と伝えられて千三百年、かつて黄金の文化を生み出し、 宝の山と謳われ、国の発展と郷土の繁栄を支えて千二百七十年、その持てる力を出し尽くし、 日本一の名鉱山の名を残して閉山、こゝに三十年、 その歴史を父祖の刻んだかけがえのない産業遺産として受け継ぎ世に伝える観光鉱山として再生した マインランド尾去沢の新たなる発展に夢と希望を托して、我等今こゝに立つ。」と。 マインランド尾去沢は今、史跡尾去沢鉱山と名を改めて鉱山本来の姿にもどり、 新しい道をアルははじめている。
 
 今私の手元にあるこの銅精鉱は、史跡尾去沢鉱山の方に届けたい(返したい)と思っている。 尾去沢鉱山最後の製品として千三百年の歴史を語る証しとして大事にしておいてもらいたいものと 思っている。
 
 私はこの話しに続いて、あの資料舘に展示してある坑道模型や地形の模型など、 いつどうやって作ったか、世界ではじめて発見されたという尾去沢石のこと、 国内でははじめて発見されたと聞いたような気がする紫・ピンク等の入りまじった 美麗な断面を持つ硫酸鉛鉱(といったような気がする)のことや、 尾去沢鉱山は全国でも産出鉱石の種類が一番多いこと(その鉱石の名称なども)などのことや、 よろけ坂のことなど観光ガイドさんの説明には登上しないだろうと思われている いわば身内の自慢話し?のようなものを書きたいと思ったが、それはまたいつかとして、 間もなくお盆もくるので、大直利大太鼓のことに少しふれてみたい。
 (誰だ!そこで鉱石のことなど素人が何わかる!といっているのは、 マアマア、昔地質課にいた人には尾去沢の山々を歩きまわった地質の専門やさんも 理学博士や大学教授になった人もいる。 先生にはこと欠かない、ということで)

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