山の枯木のつぶやき(1) |
この「山の枯木のつぶやき(1)」は、平成21年5月26日付けのチラシです。 山の枯木のつぶやき(1) ◎五月三十一日(日)は山神社境内で「さつき祭り(花見)」を行います。 午前十一時〜会費1,500円、どなたでも自由にご参加下さい。 (申込み先、山神社氏子代表、相馬、電話23-5632) 今年の祭典も皆様のご協力をいただいて無事に終りました。有難うございました。 十四日は悪天候、本部テント設営中雷が降ってきました。 十五日は幸い天気に恵まれましたが夕方より寒くなり テントの中でもふるえました。 舞台の人も、見ている人も大変だったろうと思っております。 それでも今年は子供ジャケン大会とかビンゴ大会など新しい趣向も折り込まれ それなりに楽しく盛り上り来年の楽しみもふえたと思っております。 祭典といえばからめ節となるわけですが、この保存会も結成されて二十五年とか、 この間会長さんとして会を引っぱってこられた柳舘さんも今年は勇退されて 岡本英毅さんに代りました。 今年は新しい会長さんのもとでの第一回目の発表(奉納)となりました。 どこの会でもそうだと思いますが会員の老齢化による減少はさけられず それを補う若い人の加入も少く、伝統を維持することが困難となってきております。 是非千三百年の歴史を誇る尾去沢鉱山の伝統芸能のからめ節が末え永く続くよう 皆さんのご協力をお願いしたいものだと思っております。 それにつけてもという言い方は変ですが、尾中ブラバンの部員が少くなったのにはやむを得ない と思いながらも残念でした。 三百人も四百人もいた頃と八十二人という現在ではどのクラブも部員の確保は 難かしいと思います。とはいゝながら盛かんな頃の夢を追うわけではないが 何んとか応援していきたいものだと思います。 私の娘がブラバンにいた頃は人数も多く、一年生が入ってくると二年生や三年生が 楽器の扱い方や音の出し方など一生けん命教えていたものでした。 それが伝統を守り伝統を受け継いで行くことだと思います。 ところが現在三年生が三人、二年生がいなくて一年生が四人、 来年になれば三年生がいなくなり二年生が引っぱっていかなければならない。 部員が少くなったからもうやめたと一たんやめてしまば復活することは不可能といって いゝかもしれない。来年が正念場だ、先生を中心にしながら生徒達も頑張って欲しいと思います。 とはいっても、こゝの言葉でいえば「泣っ爪をはだけて頑張れ」ということではなく、 私は難かしいことはわかりませんが音楽は楽しくなければならないと思います。 「楽しく、一生けん命、希望をもって」頑張ってほしいと思います。 私は、戦後三年シベリアで暮らしてきました。 十五・六の若い娘さん達が仕事の行き帰りのトラックの上で赤いスカーフを風になびかせながら いかにも楽しそうに元気一杯、二重唱・三重唱(私にはそんな風に聞えた)で歌っていく、 それが音楽といえるものか、ロシア民謡なのか何んにもわからなかったけれども、 たゞ私は生活の中に音楽があるというのはいゝもんだと、と思いました。 話は横道にそれましたが、私は何んにも出来ないけれども、尾去沢にはまだブラバンの先輩達が たくさんいると思います。学校には楽器もたくさんあると思いますので、 秋になったら尾中ブラバンを応援する合同の演奏会をやれないだろうか、 一緒に練習する時間もとれないだろうし難かしいことだと思いますが、母校を思う情熱と 後輩達をはげます熱い心が伝わればそれでいゝじゃないか、 そんなことを思っております。 この頃私は運動会も見に行かなくなったので、今もやっているだろうか、 ブラバンの先輩達が一緒になって、入場行進などの演奏をしてくれていた、 私はあゝよかったナー、これが伝統を伝える一つの姿だナー、と何にかしら楽しく心強く、 これでよし、よし、と心の中でうなづいておりました。ここ ブラバンに限らず色々な大会があっても、私は見にも応援にも行けないけれども 新聞などに記事が出てくると赤いボールペンを持って名前を見てもどこの誰だかわからないけれども 名前に赤い線を引いて、”よし頑張った”と紙上で応援している。 私の応援といってもその程度のことだけれども、それが実情も知らないで 勝手なことをいゝ出してと怒られるかもしれないが、 たゞ私はブラバンに対しては一しお思い入れがある。 お恕し願いたいと思います。 |