下タ沢会によせて(覚書)

はじめに

 下タ沢会をやってから、もう2年半になろうとしている。その間結果報告も しないで何をやっているのかと、皆さんから怒られると思いますが、自分でも本当 にそう思います。私としても何十年ぶりかで皆さんにお会いできるのが嬉しくて、 秋田の内田真佐博さんや一所に住んでいる畠山定雄さんといろいろ話し合って準備 を進めました。それはそれでいいのですが、当日は皆さんといろんな思い出をいっぱ いしたいと思いましたが、時間も足りなかったが、皆さんにお会い出来た嬉しさが 先にたって、酒の酔いも早く、次の日になったら、何を話し合ったやらみんな忘れ てしまいました。

 ただ私はいつも思うのですが、下タ沢で一緒に暮らした頃のことは、私達はわか っている、子供達もいくらかわかるだろう、しかし、孫の時代になったら下タ沢に は行ってみることもないだろうし、何んにも分からなくなるだろう。その孫の時代 になって(今その時代になっているわけですが)、オジイサンやオバアサン達のく らしたという下タ沢とはどんなところだろうと思ってみても、1、2枚の写真はあ っても、昔を語るものが何んにも残っていないのではないかと思い、そのために何 にか手がかりになるものを残しておきたいと思いました。

 それで下タ沢会が終わった後、いろいろ思い出してボツボツ書きはじめまし たが、書く程にあのときはどうであったろうか、とわからないことばかりでつまづ いてばかりおり、時間ばかりたってしまいました。

 去年の春、前橋市に住んでいる鈴木京子さんという人から電話がきて、私のオジ イサンが田郡の出身なので、いわば自分の先祖のくらした田郡とはどんなところか 行ってみたいので、案内してもらえないだろうか、ということだった。もちろんお 互い見ず知らずの間柄だが、(鹿角)市役所にでも電話して誰か田郡の方のわかる 人を紹介してほしいと頼んで、私の名前を聞いたのではないかと思う。

 また、6、7年前であったか、北海道に住んでいるという、やはり鈴木さんとい う人が、自分の先祖が尾去沢出身だというので、そのルーツを探すために来たこと があって、円通寺の住職さんや柳館計一さん達といろいろ話を聞いたり、したりし たことがありましたが、その人はいろいろ尋ねまわったりしたようですが、よくわ からないで終ったようでした。

 そんなこともあったので、前橋の鈴木さんという人から電話がきたときも、いい ですよと引きうけて、時期的には6月の初め頃がいいということにして、下タ沢会を やった頃に同級生の齋藤新一さんに車を運転してもらって、上新田から田郡を通っ て学校跡まで行ってきました。もう60代と思われるが、お友達の女の人と二人で きました。父は沢出義雄(今次大戦で戦死)、おじいさんは萬次郎という人だとい っていました。どなたか心当りはありませんか。

 それはそれとして、60代というのは、そういうことを思う年代なのかもしれま せん。私達の孫達もその年になると、やはりそういうことを思うようになるのかも しれません。

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