下タ沢会によせて(覚書)

はじめに

 なお別刷りとしてつけた「閉山こぼれ話し」は、平成10年に尾去沢鉱山閉山20 周年を記念して、古遠部、松木両鉱山と併せ三山を偲ぶ会をやったとき、閉山の頃 はすでにおらず、何十年振りかで尾去沢にくる人もあるだろうと思って、閉山の頃 の様子を少しでも分ってもらへたらと思い、私の書いていたものをまとめてみたも のです。コピーをして読み直してみたら、何にか自分だけいい気になっているよう な気がして、これじゃ自慢話しみたいで、かっこう悪い、後で子供達にでもやろう かと、参加した皆さんに配るのはやめたものです。

 また「尾去沢小学校校歌の周辺」並びに「余話」は、平成11年の暮れから12 年にかけて、尾去沢小学校の校歌のことを少しでも尾去沢の皆さんに知っていただ きたいと思い、新聞折込みとして配ったものです。

 私達は、尾去沢小学校の校歌は日本を代表する有名な二人の先生につくっていた だいたものだと、自慢もし誇りにも思ってきたものです。であるから私はこの校歌 の記念碑をつくりたい、小学校正面玄関前の植込みの中にでも、自然石に先生方二 人の名前と歌詞を刻みこんで、というのは私の夢みたいなもので、その力もないわ けですが、そのできるできないは別として、これに併せて元の小学校の後ろ小高い 丘、奉安所のあったところに、新校舎に移転するときに建てた小学校跡という記念 碑は、今は木も大きくなり草ぼうぼうとなって、建てた当時の私達は知っているが、 今の若い人達は、あることさえ知らないだろうと思います。同じことは三ツ矢沢小 学校にもいえることで、本校と同じに建てたが、道より少しひっこんだところにあ るので、これも草や木におおわれて、わからなくなっている。これらをもう少し、 ここに学校があったとわかりやすい場所に移したいものだと思っている。

 もう一つは、尾去沢の円通寺には「大森錦陽先生之碑」というのが建っているが、 これも正面にそう書いてあるだけで、裏面には昭和12年11月、尾去沢尋常高等小学 校校友会とあるだけで、その先生はとんな人なのかわからないので、たぶん尾去沢 小学校の初代校長とされた大森武七という人だと思うので、尾去沢における近代教 育の基礎をつくった人、くらいの説明はつけたいものと思っている。

 こうした閉山のときの話しなどつけようと思ったのは、先にもいったように、よ その人はともかく、下タ沢の人達は先輩の思い出話しとして素直に受け止めてれる だろうと思って、また元山や三ツ矢沢の校歌も書きましたので、これに関連して本 校の校歌の話しもつけてみました。

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