下タ沢会によせて(覚書)

附1 閉山こぼれ話し

 最後の銅精鉱
 
 こうして私は、七月末で鉱山を下りて家にいた。それは十月の五日であったろう、 鉱山事務所から電話がきて、明日最後の銅精鉱がでる、と教えてくれた。製錬がな くなった後は、銅精鉱が鉱山の最終製品であった。閉山の後も選鉱場では浮送機な どに長い間へばりついていた銅精鉱を洗い流したりして回収していた。
 私は朝早く家を出て、銅精鉱を積んでいるところに行ってみた。これが小坂鉱山 に積み出されると、尾去沢鉱山の形見の品が私達の手には何んにも残らなくなる、 できれば小坂鉱山にお願いして、もちろん小坂鉱山の熔鉱炉には尾去沢だけでなく、 ほかの鉱山の鉱石も入るだろうが、それでもいゝ、これが尾去沢鉱山の最後の銅だ と、カケラッコでもいゝから欲しいものだと思った。がそれは、とうてい無理なこ とだと思ったので、せめてこの銅精鉱だけでもと思って、ナイロンの袋を見つけて きてスコップ一杯、謹んでいたゞきとした。しばらく鉱山の倉庫の隅にそっとおい ていたが、今は私の家の物置でミカン箱に入って眠っている。これをどうしようか と思っているが、いゝ知恵が浮かばないまゝになっている。
 
 ということで、丸佐のトラックがきて、銅精鉱を積みはじめる。みんなで最後の 写真を写そうといったが、例によってたゞ写したんでは何んの写真かわからなくな ると思って、積んでいる間に大至急鉱山の保安週間などの行事に使っていた立看板 があるので、それに「尾去沢鉱山最後の銅精鉱、小坂鉱山製錬所向発送、昭和五十 三年十月六日、尾去沢鉱山」と三行に書いてはって、それをトラックに立てゝ写真 を写した。「長い間ご苦労さんでした」と南社長が丸佐の運転手さんにお礼のお酒 を渡して、トラックはみんなの拍手に送られて、小坂鉱山目ざして走り去って行っ た。
 その後を追うようにして南社長と高杉課長は、小坂鉱山にお礼のあいさつに出か けて行った。
 
 あれから二十年、とまたいうが、今また多くの鉱山の仲間達が集ってくる。どん な話しに花が咲くにしても、自分の働いた職場はどうなっているだろうという思い もまた、深いものがあると思います。特に坑内の状況は、外からは見えないので… …。
 
 その閉山のときの四月から五月にかけて、私達は最後の保安清掃運動・総点検を実 施した。今閉山するのに、そんなことは無意味だ、無駄なことだという人もいるか もしれないが、私達は例年のように(年二回、春と秋に実施していた)整斉と進め た。

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