下タ沢会によせて(覚書)

附1 閉山こぼれ話し

 お堂(ド)ッコ焼く話し
 
 六月二六日には閉山式も終り、残務整理の手伝いも間もなく終るナーと思ってい た七月二十日頃、採鉱に一人残って最後の見廻りをして、残った物品の整理などし ていた米田区長から電話がきた。今日午後からオドッコ焼くから上ってこない か、という話し、私は「オウドウコウ」焼くからと聞いて、何にを今頃変だと思っ たが、すぐわかった。
 午後からおみきを持って採鉱の事務所に行った。各休憩所などに残っていたオド ッコを集めたのが、七つ八つあった。採鉱事務所の神棚はまだかざってあったので、 その下に机をおいて、その上にオドッコを並べて、おみきを上げて拝んで、事務所 の後ろ、更衣所との間で焼くことにした。が、そのまゝ地べたで焼くのはうまくな いナーといったら、米田区長が待て待てと新しい波トタンを二枚見つけてきて、そ の上で焼くことにしちた。
 
 さて、焼いたのはいゝが、オギッコ(もえ残り)をどうする、その辺に捨てるわ けにもいかないだろう、といったら、やはり世の中には物知りもいるもんだ、それ はどごだりに捨てるもんでネエ、川に流すものなんだ、と昔の人がいっていた、と。 ほる程そうか、ということで導火線の入った新しいダンボール箱を見つけてきて、 それに入れて、みんなでジープで米代川に向った。
 
 ジープの中で、おみきの一升ビンを抱えながら、私は思った。炭には浄化作用が ある、炭は水を清めるというから、尾去沢を守った最後の神さま達にお願いしよう、 尾去沢は長い間、鉱山という仕事の中で米代川を汚してきたゞろう、また昭和十一 年にはダム決潰という事件もあって、ドロが能代までも流れていった。尾去沢鉱山 を守った紙さま達よ、長い間ご迷惑をかけたであろう、この川の水を清めて、能 代まで流れて行ってくれと。
 
 その頃は今のように護岸工事もされていなくて、稲村橋を渡ってすぐ左に折れて、 土手を少し行くと斜めに川岸に出る小径があった、そこからオギッコを川に流した。 私はおみきの一升ビンをさかさに振って、”神さまイッチョウタノミマス”と、ド ボドボッと勢いよく川にそゝいでやった。これでよし!と思ったが、心のすみっこ でどこか淋しかった。
(このとき一緒にオドッコ焼いて川に行ったのは、米田区長、桜井千三さん=田ノ 沢地区の責任者として米田区長が呼んでいた、事務所の北村さん、浅岡活男さんと 私)

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