下タ沢会によせて(覚書)

附1 閉山こぼれ話し

 記念品(2)一本の手拭
 
 手拭で思い出しましたが、従業員のお別れ会にときに、記念に手拭をやろうとい うことになった。さてその手拭に何んと書くかとなって一寸困った。天寿を全うし て閉山となるのだから「天寿」とでも書くか、とはいってみたものゝ何かふさわし い言葉がないものかと考えてみたが、急には誰も思いつかない、といって何日もの びのびにするわけにはいかないので、結局「天寿」ということに決めていたゞいて、 これはやっぱり鉱山に引導をわたすようなものだから、社長に書いて下さい、とい うことにした。問題はその字の下に「尾去沢鉱山、昭和五十三年五月」と書くこと になっていた。社長は天寿と書き終ると、後はまかせたよ、と行ってしまった。サ ー誰に書いてもらったらいゝかいささかなやんだ、畠山さんに頼めばすぐ書いてく れることはわかっている、が私の考えは少し違っていた。この鉱山を支えてきた、 土台となったのは私達従業員だ、だから天寿と社長が書くのは当然としても、その 天寿の乗る土台となる字は、親子代々この鉱山で働いてきて、その最後を見届ける 地許の人間が書くべきである、と誰にもいったわけではないが、一人会議室で自問 自答。さて誰にと思ったがお前、俺と議論している時間もないので、俺にもその資 格はあると、上手、下手は別として、恥の上塗りは覚悟の上で、自分で書くことに した。もうあのときの手拭を持っている人はいないだろうから、上塗りの恥も消え てしまったろうと思いながら、時々やっぱり畠山さんに書いてもらえばよかったと 後悔している。
 この鉱山を支えてきたのは私達なんだという思いは、三十一日の坑口閉鎖式のと きに、最後の石切沢の鉄の扉を閉めるのは当然のことながら、社長と私達の代表で ある斉藤委員長の二人にお願いした(私が決めたわけではないが)ことにつながっ て行く。

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