下タ沢会によせて(覚書)

附1 閉山こぼれ話し

 もっかもっかと大きくなる話し − 田ノ沢大明神に願いを託して −
 
 それは五月の三十日であったか、田ノ沢地区の担当者であった桜井千三さんから 電話がきた。  「今日三時から田ノ沢地区のお分かれ会をやるから上ってこい」ということだっ た。そういうことになれば、一も二もない、一升下げて出かけていった。
 みんな田ノ沢大明神の前に少しゴチャゴチャとならんでいた。海沼神主さんも来 ていた。先づ田ノ沢の守り神さまにおみきを上げ、神主さんに拝んでいたゞいて、 神さまは私達の鉱山に寄せる思いを託して山にお帰り願って、シートなどしいた番割 所の中でお別れの宴となった。
 
 この田ノ沢大明神は、尾去沢が最後の合理化をやった後の昭和五十一年頃であっ か、新会社になった後の昭和四十八〜九年頃であったか、今は記憶も定かでなくな ったが、田ノ沢地区の担当者であった桜井千三さん達が田ノ沢地区の守り神さまを つくろうということで、自分達の手で四尺×四尺くらいのお宮をつくり、一番いゝ 鉱石をご神体として、両側に六尺くらいののぼりを立て、昔赤沢の山神社であった 登り口を少し上った所の小さな台地に、海沼神主さんに拝んでいたゞいてお祀りし たものです。
 この登り口のところに「山神宮」と彫った、一抱えほどある大きな石があったが、 今はマインランドの山神さんをお守りしております。
 
 この田ノ沢地区には、品位のいゝ切羽が一つあった。しかし一つの切羽では何人 働けるか、またわずか何トンかの鉱石をはるばる選鉱場まで運んできて、選鉱場を 動かしてみたところで赤字にはなっても、とうてい尾去沢を背負い切れない。涙をの んであきらめた。  その日皆が現場に出て行った後、一升下げてその切羽にお別れに行ってきた、と 桜井さんが、私の肩をたゝいていった、「ナアー相馬、あの切羽の鉱石はもっか、 もっかと大きくなって、また尾去沢は大鉱山になるんだゾ!」と。
 
 あの切羽の鉱石が核になって、尾去沢はまた大鉱山になる。それは夢でしかない、 それはわかっている。でもそう願わずにはいられない、それはこゝで生れ育ち、こ の鉱山で働いて一生を送る男達の、この鉱山によせる思いであり、願いであった。

[次へ進む]  [バック]  [前画面へ戻る]