下タ沢会によせて(覚書)

附1 閉山こぼれ話し

 番外お稲荷さん登上
 
 これは昭和四十九年七月の「保安ニュース」第二十号からの書き抜きです。この 号は「ご家庭の皆さんへ」として、会社の現状、保安への取り組みなど書いて、全 家庭に持ち帰って読んでもらおうということで、職場に配ったものです。その最後 にこう書いております。「ご家庭の皆さん、職場はいつも家庭と一体です。苦しみ も、楽しみもわけあいながら、皆なで力を合せ、明るい尾去沢を築いて行きましょ う」。鉱山を守ることも、保安を確保することも、その根底にあるもの、それを支 えるものは家庭である、そうした思いからであった。
 
 このお稲荷さんの記事は、この年の四月一日、新会社発足三年目を迎えて、竹原 社長が全従業員に新年度への決意を語ったときに、
 「本当に鉱山の実力をつけるのは今をおいてない、第三年度は新会社飛躍の年と して決意を新たにして前進していきたい」、そして本年度の目標は、「保安面にお いては絶対に取り返しのつかない災害は起さない、仕事の面においては探鉱に重点 を置いて次の三つを柱として取り組んでいきたい」、ということで、
一、大物通(金偏+通、ヒ)を含む北部地域の探鉱。
二、田ノ沢西部地域の斜坑開さくによる下部開発。
三、タイマー工場を軌道に乗せる。
 それぞれにどのように取り組んでいくかについて語ったことは省略しますが、こ の社長の話しを書いた後に、「番外、お稲荷さん登上」という記事を書いておりま す。つまり社長の話しの中にはないが、私が勝手に四ツ目と心の中で数えたので、 「番外」としたわけです。それは、
 
 大分前から見当されていたものに、昔坑外に捨てたズリの回収というのがありま す。昔の選鉱技術ではドウにもならないが、今の技術ならなんとか物になる、とい うことで、一番手に上げられたのが稲荷坑のズリ(約三万トン、下タ沢に出る新通 洞坑口の上の方)の回収です。
 新通洞の坑口手前約五十米ぐらいのところから、若干立入を切って約九米掘上っ て漏斗を作り掻き出す、とやったわけですが、相手は石だけでなく大分粘土化して いるので、おいそれと漏斗の中を滑ってこない、それ発破をかけろ、水をかけろ と四苦八苦です。
 それもそのはず、こゝにはお稲荷さんをまつってあった。ご神体は大分前に元山 関係の神様方と一緒に蟹沢の方に移っていたゞいたわけですが、なにせ山のかげ は景色はいゝし、故郷はなつかしい、お稲荷さんも時々出かけてきては、こわれて しまったお宮の跡に一休みして故郷の山をながめ、時の流れに感慨もまた深かろ うというわけです。
 そこでおみきを上げて、鉱石を下さい、と敬意を表しようといっていましたが、 仕事に追われてついのびのびにしていしたので、お稲荷さんヘソを曲げていたのでは ないか、丁度保安週間でもあるし、と去る五日課長以下関係者そろって、「鉱石を いたゞきますよ」とおみきを上げて、順調な出鉱と安全を祈願した。
 なんといっても六〜七十年前の大先輩達が残しておいたものを、たゞでいたゞき (新しく鉱石を掘るための経費はほとんどかゝらない)というわけで、現在の我社 にとっては大変有難いプラスになっているわけです。
 今、月二千トンの出鉱を目ざして頑張っております。
 
 というわけで、坑外各所のズリも回収したわけですが、この稲荷坑のズリの回収 をしていたときに、ズリの中からエビスビールというビンが一本出てきた。私達は 昔聞いたことがあるような、ないような確かな記憶のある人はいなかったわけです が最近また復活したみたいです。そのビンはしばらく取っておきましたが、その後 どうなったかわからなくなりました。  しかし、エビスビールは復活しても、尾去沢は鉱山として復活することはもうな いわけですが、私達の心の底には、いつの日か尾去沢はまた大鉱山として栄えるん だ、栄えてほしい、という願望が流れておりました。

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