下タ沢会によせて(覚書)

附1 閉山こぼれ話し

 歴史を閉じる日のために(続き)
 
 現実にこの鉱山を閉ずる日が、二か月後か、三か月後か、あるいは半年後か、一 年後か、直利が当るか、銅価が上るか、やって見なければ誰にもわからない。その 日がいつくるにせよ、我々は一日一日を大事に精いっぱいの努力をしていこう。そ れがこの鉱山に生きた我々のこの鉱山に対するつとめではないか、それがまた一二 七〇年この鉱山の歴史を築いてきた多くの人々の、我々によせる願いでもないか。
 
 夕日は五十枚の空を美しく染めて輝き、やがて沈む。
 我々もこの夕日のように、この鉱山の歴史の最後の日を美しく輝かせながら静か にその幕を引こうではないか。
 しかしながら親のふところを離れた子供のように、今我々がこの鉱山を離れゝば、 このきびしい社会情勢の中で、明日よりの生活に困ることはわかりきっている。し かし、それはそれとして、それぞれの立場からお互いに協力し会いながら、解決の 道をみつけていこう。今は只、男らしく、いさぎよく、精いっぱい、力いっぱい、 みんなで協力し、扶け合いながらこの鉱山の最後を美しくかざるために努力してい こう。
 
 その日のために、今一番おそれていることは何にか、それは取り返しのつかない 大きな事故を起すことである。それは自らの不幸のみならず、仲間をも不幸におと し入れ、我々のこの鉱山にかける望みも打ちこわしてしまうことである。そしてそ れは、この鉱山の歴史に残す最大の汚点である。我々は栄光の幕を引く手を自ら汚 してはならない。係員は係員の立場から、働く者は働く者の立場から最善をつくし ていこう。そして全力を尽した者のみが持つ誇りをもって、最後の幕を引こうでは ないか。
 
 今私は思う。
 この鉱山の歴史は閉じても、それは単なる鉱石の抜けがらにしてはならない。鉱 山という名の形骸にしてはならない、幾年か後に「こゝに尾去沢鉱山ありき」とい う一片の記念碑が、草ぼうぼうの野ざらしの中に空しく立つ廃墟にしてはならない、 と。
 
 我々は今、この鉱山に感謝と誇りをもって、新しい生命を吹き込むことも考えよ うではないか、それが何んであるかはしばらくおくとして、それが一二七〇年この 鉱山に生きた多くの人々のために、またこの尾去沢鉱山を故郷とし、誇りとして全 国各地に活躍する尾去沢出身者のためにも、我々この鉱山の最後を守った者のつと めではないか、一二七〇年、その歴史を閉じたその手で次の一二七〇年への礎を築き、 その幕を開くことも考えようではないか。
 
 人は今、私のいっていることを単なる感傷とわらうかもしれない、それはよい、 現実はそんな生やさしいものではないことは、私もよく知っている。只、その現 実に押しつぶされ、只、必死に働いて、只、閉山の日を迎えるならば、我々の心の 中に何にが残るか。現実ばなれの世迷い事というなかれ、我々は今歴史の分岐点に 立っているのだ、我々の行動そのものが尾去沢鉱山の歴史の最後の一行、一行を書い ているのだ、誇りをもって美しくこの鉱山の歴史の最後を閉じようではないか。
 
 その日の一日でも遠からんことを願い、その日を一日でも遠くに押しやることを 願いながら力を合せ、心を合せ、総力を結集して前進しよう。堂々と、整々と、胸 を張って頑張ろう。鉱山を閉ずる最後の幕を引くその手を哀惜の涙は流しても、後 悔の涙は流さないためにも。
 
 しかし、どのように努力しようとも、我々働く者一人ひとりの名は、この鉱山の 歴史の中に記録されることはないであろう。それはよい、しかし、この鉱山の最後 がどのように記録されるかは、我々一人ひとりの努力の積み重ねである。我々の一 日一日の生きざまの積み重ねである。

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