下タ沢会によせて(覚書)

ナンコかやき異聞

ナンコかやき異聞  この阿仁鉱山の本に、こんな話しがのっていた。
 鉱山では馬肉のことをなぜ「ナンコー」というかに、諸説がある。阿仁鉱山に伝 えられている説は、として、
 三枚鉱山の三両沢には、人捨沢というところがある。ここはその昔ヨロケになっ て働けなくなった鉱夫を捨てた沢だといわれている。あるときそこに捨てられたは ずの鉱夫が元気になってもどってきた。びっくりした人達が聞いてみると、その鉱 夫がいうには、人捨沢に捨てられたとき、放牧中の馬が沢に落ちてきて死んだでし まった。腹が減っていたのでその馬の肉を食べたら、元気になったのだという。そ れ以来鉱夫たちは馬肉を食べるようになったのだそうである。
 当時動物の肉を食べる習慣はなかったから、馬肉を食べるには合法的な理由がなけれ ばならなかった。そこで思いついたのが、方位を十二支であらわす言い方である。 つまり北は子(ネ)であり、午(ウマ)は南である。すなわち「馬は南」であるか ら、「南向(なんこう)」だとしたのである。いささかこじつけに思えるが、阿仁 鉱山は南北に主要鉱山が並んでいることと無関係ではない、という解釈もあるよう である、と。
 
 さて、杉山新吉先生の書かれた「鉱山町のくらし(マインランド・ブックス)」に は、楠公鍋という鍋料理として次のように書いている。
 「ここにいう楠公鍋は、楠正成と深いかかわりのある料理です。
 楠公が戦さの時、兵糧攻にあい、苦しい場面に立たされたことがありました。 「腹がへっては戦さはできぬ」とあって、戦さにはなくてはならない、大切な馬を 食べることになりました。大事な、そして戦いには大きな力となる馬ですが、致し 方ありません。
 このことが事実であったかどうか不明ですが、そこから馬の肉の料理のことを、 楠公料理というのです。」
 
 奈良菊弥さんの骨軟病説もありましたが、さて皆さんどっちに軍配を上げる?、そ んなめんどうくさい理くつは抜きにして、ナンコーかやきで一杯いくか、というこ とで、尾去沢の大直利大太鼓保存会(上田孝造会長)では、毎年お盆の13日に、先 祖供養の大太鼓の巡行をしておりますが、そのとき円通寺の前で、お墓参りにくる 人達に伝統の馬肉かやきをご馳走をしている。

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…… 鹿角の特色ある料理 ……
カヤキ(貝焼き)

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なんこ鍋
歌志内 なんこ鍋
 
 「なんこ鍋は、北海道空知地方の郷土料理として有名な鍋料理で、伝わっている 主な市町村(旧産炭地)は歌志内市・赤平市・芦別市・三笠市・岩見沢市などである。」
 「秋田県の炭鉱(鉱山)労働者から伝わったといわれ、かつて一大炭鉱都市として 栄えた歌志内で炭鉱マンに親しまれ、市民に定着した。市内の精肉店では、なんこ (馬の腸)が売られている。
 なんこは馬肉を指す秋田県北部の方言、方角上の南に午(うま)が当てられる ことから、南向のナンコウがつまってナンコとなったと、歌志内市のホームページ に紹介されている。」 という。
GLN企画普及室