松浦武四郎が7月25日に田郡まで来て泊り、26日朝田郡をたって勢沢に来て(人家
六七軒ばかりといっている。)、下って新切鋪、立間歩、少し下って鶯鋪、少し下
りて勢沢大切等といっている。これらは、附図1によって大体見当がつく。 「拡大写真」 今度は上ってセリ場(下タ沢本番のあったあたりだろうか)、五六十歩上りて熊 谷鋪などといっている。ということは勢沢というのは、下タ沢のことをいったので はないだろうか。勢沢の大切などといっても、場所的には丹波の沢の脇だから、丹 波の沢の大切といった方がいいのではなかったか、という気もする。ということは、 下タ沢の右左をみても、勢沢というのはないように思う。といっても勢沢とは下タ 沢のことだと書いたものはにいようだが、が、この松浦武四郎の書いたものを、 ジーッと見ていると、なんとなくそんな気がする。 私達が子供の頃、大雨が降るとシマシコの并(石偏+并)山(ズリやま)の石の 間からも水が出てきて、あのあたり一帯が川のようになり、学校に行くにもこいで 行かなければならず、おっかなかった記憶がある。あのせまい下タ沢の川が、濁流 滔々どころか奔流となり、橋(といっても、川をまたぐ土橋のようなもの)も度々 流された。元山に家がいっぱいあったとしても、草木も少ないハゲ山みたいだった ろうと思うから、雨が降ると水が一気に出たろうと思う。水が勢よく出る沢だから 勢沢といった。これは私のこじつけだが、鹿角市史ではイキオイ沢とカナをふって いた。私達はキオイ沢といったような気がする。誰か下タ沢のことを、昔はキオイ 沢ともいったもんだ、と聞いたことはないだろうか。 |