下タ沢会によせて(覚書)

子供の頃歌った歌(わらべ唄)

 私達が子供の頃歌った歌といっても、女の人達がお手玉取りや、手まりつきなど 遊んでいるとき歌っていたのが耳に残っている、といったところかもしれない。今 になると断片的な途中の文句だけで、その先がどうなのか、その後がどう続くのか さっぱりわからない。そんな断片を拾い出してみると、
 
 「次郎太郎ハゲ頭帽子をかぶれば良い男」「次郎坊にきせば太郎坊がうらみる」 「チリンコパリンコ」「何んとかで腹へつた、腹へった田つくれ」また「一ばん初 めは一の宮」「サヨナラ三角」、これは案外おぼえている。ともあれ、「アオヤマ ドテカラなんとかで」「セッセッセなんとかで」とかみんなゴッチャになっている。
 
 こうした「わらべ歌」について鹿角市史をみると、「鹿角のわらべ歌一覧」とし て種類別に集めて題名を書いている。それは、
  @手毬歌22、Aお手玉歌14、B手合せ歌7、C遊戯歌16、D口遊み歌27、E歳時歌10、 F子守歌10、G縄飛び歌6、H子取り歌3、I風船突き歌2、J鬼遊び歌3、K拳遊び 歌8、L天体気象歌5、M指遊び歌3、N動植物歌18、O謎々歌4、P呪(まじな)い 歌8、合計166。
 
 これらは題名だけで、歌の文句は書いていないが、この表の後に各種類毎の解説 と代表的な歌を書いている。ただこの鹿角市史に集録されているものと、花輪町史 で武石チエさんという人が、天保(1830〜1844)生れのオバーサンから聞いたとい うのでは、文句に若干の違いのあるものもあり、また私達がおぼえているのも少し 違うかもしれないが、鹿角市史はこの項の最後にこう書いている。「なお口承文芸 全般にいえることだが、伝承地や伝承者、および時代や採集者などによって、細部 にかなりの違いが見られる」といている。ということは、私達の歌っているのが、 ほかのと違っていても、それはそれでいいのだと思う。
 それはそれとして、今ここで天保(1830〜1844)生れのオバーサンに登上しても らったのは、こうしたわらべ唄などというのは、明治大正といった新しい時代から ではなく(のもあると思うが)、遠い昔から歌いつがれてきたものだという証左に もと思ったわけです。
 
 参照: 「ハエハエ物語」「青山土手から」「セッセッセ」「子供と子供」「痛でどご山コさ」
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 こうしてみると、私達の歌っていたのとは、少しづつ違うと思う。みなさんもい ろいろな歌を思い出してみて下さい。

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