下タ沢会によせて(覚書)

金掘りの動員は何%か

 また話しが横道にそれてしまったが、戊辰戦争のときに600人も動員されたという ことは、全稼働者の何%になるのか計算してみようと思って、その基になる数字を さがしているうちに、水呑とは田畑を持たない日雇いだという話になって、下タ沢 には田んぼはもちろん畑もろくに作るところがないから、日雇といわれる人がいて もおかしくにいナーと妙に納得したような気分になっていたが、とかく一応慶応4年 (戊辰戦争の起きた年)の諸働き863人を、そのときの全稼働者としてみると、その 内 600人が動員されたということは、約70%ということになる。が、代りばんこに 出ることもあったのではと思われるので、となれば、程んど全員が引っぱり出され たのかもしれない。
 
 こうして編成された人達は、一度にそろって出陣したわけではなく、状況に応じ て第一線に配置されていったのではと思うが、その家族の様子については、何んに も書いていないようだが、家族にしてみれば、親兄弟が戦争に駆り出されるという ことで、出陣の支度だ、炊き出しだ、ニギリメシだと物情騒然、それこそテンヤワ ンヤの大さわぎであったろうと思われる。幸い私達のふる里下タ沢は戦場にならな かったので、いつの間にか忘れられてしまったのかもしれない。下新田の方には、 戊辰戦争のときに、ここに陣屋があったなどと語り伝えられている所もあるようだ。

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