下タ沢会によせて(覚書)

元山神社のこと − 蟹沢に建立 −

 元山の山神社は大正14年の火事で焼けたが、その後鉱山の両社神社を合祀して、 現在は軽井沢にあるのに、元山の山神社を蟹沢に移したという、その元山の山神社 とは何んだろう、焼けてなくなったはずなのに、と長い間疑問を持ち、蟹沢に元山 神社を建てたときのいきさつを知りたいものだと思っていたが、昨年(平成12年) 8月、上田孝造さんが、相馬さんこれをやる、と持ってきてくれたのが、「元山神社 御造営に至る迄の経緯」という、寺岡健太郎さんが昭和39年10月に書いた、ガリ版 刷りをコピーしたものであった。中1枚がぬけているので(どなたか元山関係の人は 持っているのでは)、話しはうまくつながらなかったが、大体のことはわかった。
 
 それによると、昭和13年に元山の組頭となった寺岡さんは、元山の神社のこと、 墓地のことが心配で、安全な便利なところに移転させたいと心を砕いていたようで す。その書いた経緯によると。
 
 「……前省略……
 その後山神社の祭典又はお墓参りの度に、見るにつけ気になって仕様がないので、 元山出身者で東京で成功されている佐藤鉄工所の社長殿に昭和16年6月6日(旧5月 12日)元山山神社の祭典のご案内と共に郷土の荒廃の状況を視察に是非お出で下さ るよう書面を出したところ、6月12小東京ご出発15日郷土着の報に接したので、当日 は元山山神社境内に老いも若きも皆集り。佐藤社長殿を歓迎」、
 と、ここで次の頁に移るわけですが、それがないので、墓地移転にも関係あるの ではと、そちらの経緯を書いた本(尾去沢の由来と元山墓地廃止に至る迄の経緯) を見たら、「元山墓地移転事業」の項の中に同じような文章があり、前記の歓迎の 次に「会を開催致した処」と続き、皆大変よろこんで、盆の太鼓をたたいたり、踊 ったり、子供達に相撲を取らせて勝負にかかわらず賞品をやったりと、焼山の元山 は一時に歓喜の巷と化し、昔ばなしに花が咲き、非常に盛会であった様子を書いて いる。そして、
 
 「ついで元山現地の荒廃状況は佐藤社長に分って戴き、神社及墓地移転の事を御 願致した処、社長は神仏の信心強き人で、必ず之をやらなければならぬ、と約束さ れたのであった。」
 こうして土地問題等いろいろ紆余曲折もあったようですが、
 「地所買収費、山神社新築費、墓地移転費等として八万円の御寄附方承認」にな ったという。
 
 (今でこそ8万円で何に買えるとなるが、昭和16年当時の8万円は、どれだけの価 値があったろうか、……)
 
 こうして昭和19年10月、そのお金をいただきにいろいろな困難をおかして(戦争 も末期に入っている。いろいろな制約も危険もあったろう。)、東京に出てお金を いただいてくるわけですが(秋田銀行受取りの小切手)、そのお金は戦中戦後の混 乱の中でほとんど無価値になったようである。寺岡さんは現在の金とすれば、八百 万円以上ある金の値打の時であった、といっているが、それから更に50年、今の 金にしたら、と更めて思う。
 それはそれとして、この話しの続きは、墓地移転の方に移っていくので省略して、 山神さんの方の話しにもどっていくが、この上田さんからもらった1枚ぬけた資料の つづきは、
 
 「……?……きた事を説明し、この残木を貰いたいと申入れたら(残木とは何に の木のことかわからないが、下タ沢には杉の大木が5本あった)、返事はあとで私の 方にして下さいとのことで、再三請求いたし後、係の小野寺様との交渉となり、造 営予算書など提出し、数重なる話し合いの後、鉱山からの呼出しで、私と会長副会 長並に吉沢為治氏ら庶務課に参ったところ、杉は全部やるが、その価格は15万円と なるので、10万円以上は本社の社長の許可がなければならないので、当鉱山内で取定める 方法に苦慮していられるとのことで、更に相談の結果、尾去沢鉱山の山神社は元山 から移された神様であり、社殿備付の大太鼓及びローソク立、並に賽銭箱などは損 傷しており、その方に5万円程費用を掛けて寄進する事に取り定め、造営する元山神 社は40万2千円で米村組と請負契約し、直ちに事業に取りかゝり、今その完成を見る に至った。また尾去沢山神社にも寄進が出来たことは、一に神々様の神意であり、 ご加護の賜であると信ずると共に、この事業に関係して下さった東京の佐藤忠弥氏、 吉田義雄氏、鉱山の御役人元山会幹部並に会員一同の力により、この完成を見たこ とを無上の喜びとするものであり、御援助御協力下さいました方々に対して、心か ら感謝いたし深くお礼申し上げたく、
お蔭様で部落民総意の宿望が全く成し遂げられて、神仏共々永に安らけく鎮ります ことの出来たことが、有難い仕合せであり感涙を禁じ得ません。 願はくは神社の神々様は、古くからの鉱山の神様として村人の崇敬して来た神社で あり、末永く鉱山の繁栄を御守護下され、氏子の幸福を加護していたゞきます様祈 願して已まない次第である。
   昭和39年10月11日  寺岡健太郎
 
附記、神社名について
 前記人は元山、下タ沢の神社が合祀されたので、神主様の御意見もあり、永く元 山を記念する意味もあって元山神社とする方がよかろう、と言うことで皆とも計り 定めたものである。」

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