下タ沢会によせて(覚書)

もう一つ円徳寺の縁と湖南先生

 元山に学校が出来て7年程して、若き内藤湖南博士が斎藤麟道という先生の後任と してお父さんと一緒に来ているわけですが、この斎藤麟道という人は、現在の花輪 の円徳寺住職さんの曾祖父かに当る人だと思うので、仏縁のみならず、教育の面か らも尾去沢と浅からふ縁があったと思っている。
 ちなみにこのときの湖南博士は、沿革史には「内藤調一長男」とあるが、昭和32 年に毛馬内に頌徳碑を建てたときの、高橋克三先生の書いた「内藤湖南先生略歴」 には、「調一先生の次男として」とあるので(鹿角のあゆみ)、毛馬内にある先人 顕彰館に聞いてみたところ、長男は早く亡くなっているので、次男が正しいとのこ とであった。元山の学校に来たときはすでに長男は亡くなっていたのではないだろ うか。それで長男と思いこんでしまったのではないだろうか。

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