下タ沢会によせて(覚書)

円通寺のこと

 さて現在の円通寺の本寺は、長年寺となっているようだが、このお寺が大盛寺と 称するようになったときから、本寺は長年寺となったのか。合併したときの大慈庵 の本寺は長泉寺、薬師庵は円徳寺であった。これに元光庵(本寺長年寺)が合流し たのは、鹿角市史によれば大正期ということだが、大正期といっても、火事で焼け た後ではないだろうか。となれば大正14年か15年で、大正期でもいいわけですが、 ともあれ先に合併したときの本寺が、それぞれ長泉と円徳寺であってみれば、その どちらでもよかったのではないだろうか、と思うのは、事情を知らない第三者の勝 手な憶測で、それなりの事情があったものと思われる。
 
 前記円通寺関係のことを整理してみると、柳舘さんによると、円通寺は「対象8年 12月大慈庵、薬師庵の合同庵として創建、その後元山元光庵焼失により同庵も合併 し、大正末期頃に大盛寺と称す。昭和12年以降、赤沢独楽庵の信徒の一部も合流し、 昭和16年12月15日円通寺と改称す。」ということです。
 
 ただ私達は大盛寺を円通寺と改めたのは、中沢ダムが決潰し(第1回昭和11年11月 20日死者362名、第2回12月22日復旧工事中の山田組人夫12名、合計374名)、多くの 人が亡くなっているのに、多くの人が亡くなって寺が盛えるというのは、うまくな いというので、変災後すぐ円通寺に改めた、と思っていたが、理由はともあれ、寺 号の改称には色々手続きもあるだろうし、そう右から左とはいかないようで、年月 がかかったものと思われる(中沢ダムは、昭和6年5月築造に着手、7年1月より使用)。

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