下タ沢会によせて(覚書)

観音様が住んでいた元光庵とは

 私は田郡のお寺は知っていたが、元山のお寺のことは何にも知らなかった。ただ 元山は昔から栄えた大きい部落なので、当然お寺はあったろう、と漠然と思って いる程度であった。
 今こうして観音様に命を助けられた話しなど出てくると、この観音様の住んでい た元光庵とはどんなお寺だったろう、尾去沢の三沢といわれ、繁栄の中心となった 元山のお寺だから、さぞかし古い由緒ある立派なお寺だろうと思ったが、その歴史 は意外と新しかった。
 今からその足跡をたどってみることにする。
 鹿角市史(第三巻上)によると、元山に元光庵が建立されたのは明治21年で、正 式に新寺(庵寺)として承認されたのは、明治29年(日清戦争が終った翌年)にな ってからであったという。
 
 「元光庵明細帳(秋田県庁所蔵)」の由緒書によれば、次のような経緯があった。 21年に元山に居住する121戸が残らず信徒として元山131番地内の空地に方5間の堂を 建立し、臨時葬式用とした。26年に総ての信徒が協議した結果、花輪町の曹洞宗長 年寺の末庵となり、同年9月に曹洞宗事務取扱の服部元良、星見天海の添書を得て、 同年10月8日に新寺創立願を秋田県に出した。そして29年12月14日に公称元光庵とし て、県から承認を得る。30年3月に境内地払下願を出し、同年5月18日許可され、菩 提の道場とした。
 この21年に方5間の堂を建てた時から、元光庵の名称を用いたかは定かでないが、 25年に鹿角郡長が秋田県に提出した「社寺宝什物調本県明細帳(秋田県庁所蔵)」 関連の回答書に元光庵も記されている。」という。

[次へ進む]  [バック]  [前画面へ戻る]