下タ沢会によせて(覚書)

三沢 − 元山の状況 −

 ということで、今度は鉱山史により三沢の状況をみてみると、

 「寛政(1789〜1809)初期に知られた総間歩口は80ケ所を算えた。そのうち当時 稼行中の間歩として次の33ケ所を挙げている。間歩名の下に記した年代は、開口の 時として伝へられているものである。」として、田郡12ケ間歩、元山13ケ間歩、赤 沢8ケ間歩についてそれぞれ書いているが、田郡、赤沢は省略して、私達に一番関係 の深い元山(下タ沢が含まれている)の間歩について書いてみる(距離については、 1尺30.3M、1間は6尺、182Mとして換算することとする。場所については、附図1参 照、大まかな見当はつくと思う。)。

○豆腐屋大剪(おおぎり)鋪、寛延2年(1749)
 此所竪かせ6尺横かせ4尺、右鋪口より行成引立まで間数500間余(約910M)、右鋪 より下沢水貫大剪鋪川上廊下え貫合迄間数580間余(約1,056M)
○本鋪、寛文6年(註:この年尾去沢銅山のはじまりといわれる)
 此所竪かせ5尺横かせ3尺、右鋪口より行成引立迄間数200間余(約364M)
○熊谷鋪、宝永7年(1710)
 此所竪かせ7尺横かせ5尺、右鋪口行成引立迄間数100間程(約182M)
○弐番鋪、(開口年を欠いていない)
 此所竪かせ5尺横かせ2尺5寸、右鋪口より行成引立迄間数80間余(約146M)
○弐番鋪向平鋪、宝暦2年(1752)
 此所竪かせ5尺横かせ2尺5寸、右鋪口より行成引立迄間数130間余(約237M)
○下沢水貫大剪鋪、宝暦3年(1753)
 此所竪かせ5尺5寸横かせ3尺、右鋪口より行成引立迄間数530間余(約965M)
○新切鋪、明和4年(1767)
 此所竪かせ8尺横かせ6尺、右鋪口より行成引立迄間数200間程(約364M)、尤も 右鋪より下沢水貫大剪遠丁前比(金偏+比)川下廊下え貫合迄間数290間余(約 528M)
○鶯敷、安永3年(1777)
 此所竪かせ5尺3寸横かせ3尺、右鋪口より行成勢沢水貫大剪敷廊下え煙貫合迄間数 147間(約268M)
○勢沢水貫大剪鋪、安永3年(1774)
 此所竪かせ8尺横かせ6尺、右鋪口より行成引立迄間数296間余(約539M)
○鶏長根鋪、明和6年(1769)
 此所竪かせ5尺横かせ3尺、右鋪口より行成引立迄間数120間余(約218M)
○鶏長根煙敷、(開口年なし)
 此所竪かせ5尺横かせ2尺5寸、右鋪口より行成鶏長根敷川上廊下え煙貫合迄間数50 間余(約91M)
○下タ鋪、(開口年なし)
 此所竪かせ5尺横かせ2尺5寸、右鋪口より行成引立迄間数49間余(約89M)
○西道鋪、安永6年(1777)
 此所竪かせ5尺5寸横かせ4尺、右鋪口より行成引立迄間数140間余(約255M)、右 鋪より豆腐屋大切鋪川上廊下煙貫合迄間数180間余(約328M)

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