下タ沢会によせて(覚書)

各役方の役割 − 担当業務 −

○三沢廻り山方:山先に附随し、元山、田郡、赤沢の三沢に所在する普請及び白 (金偏+白)掘りの現場その他を巡視監督し、そのほか白(金偏+白)方、床屋の 業務にも干与し、資材物資の出入管理方、山内の人気情勢までも査察するもので、 いわば山先の補助役であった。その下僚に寸甫があるが、ことに御台所寸甫という のは「詰合の御膝元より差図を以て」働くものとされ、藩役人直属の横目約の如く であった。

○大本番:三沢各本番の使用する事業用資材、金工その他働人に対する扶持の渡し 方、金工の質物取扱を担当した( = 採鉱事業用品の配給・金根質物・公事)。

○三沢各本番:三沢各本番の山方役の下には鋪手代があり、寸甫、留大工、金工頭 等が所属し、所管区域の普請箇所を指揮監督して日々の出鉱を督励した( = 普請 掘・白(金偏+白)掘・買白(金偏+白)ノ管理)。

○日払:全山の経理を統括する役であったから、その主役は山方役と並んで他の諸 役の上にあった。産銅を野辺地或は盛岡に輸送する事務もその所管であった( = 出納・購買・帳合・銅輸送)。

○役屋:業務用資材、日用物資の配給管理のほか山方所管以外の公事を管掌し、ま た大本番とともに働人の質物も取扱った。役屋内では山内所用の酒類の醸造も行っ た( = 事業用資材・日用物資の管理配給・質物・公事)。

○外方:役は山内の警衛、普請の監督と鉱石の焙焼という取合せの奇妙な仕事を担 当している。本来の任務は山内取締とか対外的な事項を管掌したものであったこと は、その主席者を他の諸役のように主役といわず仲間頭とよんでいることから推察 出来よう。下方がとうして鉱石の焙焼を担当することになったのかは明らかでない ( = 坑外普請監督・守衛・鉱石焙焼)。

○白(金偏+白)方:三沢よりの出鉱のほか、買鉱も請入れ、山内の鉱石はすべて ここに集中したので、床屋とともに重要な役方とせられた( = 鉱石受入・精鉱)。

○床屋:素吹・真吹・閖物・沢掫等の製錬

○炭方・木場:それぞれ特定の炭焼、木山師などから所要の薪炭、木材を供給せしめ て銅山に輸送した( = 薪炭・萱類の集荷管理、坑木・木材・薪等の集荷管理)。

○銅蔵:粗銅の管理・包装

○台所:役方・働人の賄・雑用

 日払以下の諸役は、すべてそれぞれの役所を構え、主役を二人或いは三人ずつ置 き、下役に手伝・中通などを附属した。

 これらの諸役所の中心は鹿沢に置かれた。寛政元年(1789)の記録によると、主 要な建物は次のようである(省略)。
 また田郡、元山、赤沢にはそれぞれ本番役所(約50坪)、金場(6〜70坪)、鍛冶 屋があった。元山本番附属として下沢にも本番と金場があった。」

 明治になるまで、およそこうした組織で経営されていたものと思う。
 明治になってどうなっていったのか、尾去沢鉱山は官営時代を経て、明治22年三 菱の傘下に入り、近代的会社組織が整って行く中で、尾去沢はどう変貌していった のか、私達にはよくわからないが、戦後尾去沢が一つのピークであった、昭和38年 (以後39年の製錬縮少、続いて廃止、昭和42年以降の大合理化から始って数度の合 理化縮少を繰返えし、昭和53年の閉山に向ってゆく)の組織図(次頁)をみてみる と、言葉こそ違え、その担当業務をみれば多くの共通点があるように思われる。

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