下タ沢会によせて(覚書)

壬申戸籍はなぜ廃止されたか

 どうも泥沼にはまったように横道から抜けきれないが、またもとのもどって、広 辞苑によると、壬申戸籍は「明治5年(1872)2月1日に施行した、わが国最初の近代 的、全国的戸籍。生年月日などほか、族称、犯罪歴などまで詳記」とある。

 吉川公文舘の国史大辞典によれば、「壬申戸籍は明治19年10月16日の内務省令第 22号により全面的に改革され(明治19年式戸籍)、明治4年の「戸籍法」は2、3の 規定が残ったにすぎないが、明治31年の「民法」施行に伴なう「戸籍法」施行まで 形式上は存続した。なお昭和43年3月4日付法務省民事局長通達により、壬申戸籍に ついては閲覧の請求には応じないこととされた」。

 ということで、昭和43年以降は見ることはできなくなったわけだが、どこにかく したか焼いたか知らないが、その最大の理由は、犯罪歴や新平民という族称などが 書かれていたことではないだろうか。
 ちなみに華族は1869年(明治2年)皇族の下、士族の上に置かれた族称、はじめ旧 公卿、大名の家系の身分呼称に過ぎなかったが、84年(明治17年)華族令により、 維新の功臣、のちには実業家にも適用され、公、侯、伯、子、男の爵位を授けられ て、特権を伴う社会的身分となった。1947年(昭和22年)新憲法施行により廃止。 (広辞苑)

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