下タ沢会によせて(覚書)

おでぇしこ

 さて、私がシトギ餅のアクを吹っつけながら食ったのは、「オデェシコ」の日で あったか、外は吹雪であったか忘れたが、デェシコとはそもそも何んであったか、 確かめてみようと思った。

 それで花輪あたりでもやっていたんだろうと、先ず「花輪弁の今昔(いまむか し)」というのを見てみたら、「おおだぇしこ、おでぇしこ、お大師講(旧暦11月 4、14、24日の祭事、……智者大師の忌日)とある。そこで広辞苑で「大師(だい し)」の項をみたら、@偉大なる師の意で仏などの尊称。また高徳な僧の敬称。A 中国・日本で朝廷から高徳の僧に贈る号。多くは諡号(しごう、生前の行いを尊び死 後に贈られる称号。おくりな。)として賜わる。わが国では866年に始まり、天台宗 の伝教(最澄)(以下25人の名前は省略)に勅賜。B特に弘法大師(空海)を指す。  大師講のところでは、@真言宗で空海に帰依する人々の講社。A天台大師(智 チギ)の忌日11月24日に行う法会。
 また別の辞典では、中国で盛徳のある高僧をさすようになった。達磨大師、天台 大師などが古く……
 ふつう大師という場合は、弘法(空海)大師をさすようで、ことわざにも、大師 は弘法にうばわれ、太閤は秀吉にうばわれる、などというと。

 さて、「花輪・尾去沢の民俗(下)」の年中行事の中で、いろいろな人が話してい るが、尾去沢の秋、冬の行事のところに「お大師様(あでしこ)鉱山の人はやらな い人が多い。」と書いているが、西道口では「天候が荒れると、でえしこ吹き、と いった。ハタハタの頭付きを仏様に上げ、小豆がゆをつくり、2尺もある長いはし で、子供に食べさせた」。下新田では「4日長いカヤのはしで、12人の子におかゆ をあげた。14日小豆飯を炊いた。24日金持になったといって、餅をあげた」という。

 花輪ではおでこし(大師講)には、おでしこ粥をつくり、それをヨシの長いはし で、子ども孫などに食べさせた(新田町)。24日、弘法大師が吹雪の中で来臨する といい、小豆粥を長いはしを添えて供え、そして食べる(佐藤政治)。

 また「種々の信仰」の中の弘法信仰のところで、「弘法さんの家」として、花輪 の福士に加福幸妙さん(明治44年生)の家があったという。「花輪の福士の加福幸 妙さんの家では、幸妙さんの祖母スワさんの時代から弘法さんを信仰し、弘法さん の家と呼ばれている。」として、大師信仰のこと、ご利益のことなどいろいろ書い ているが、その最後の方に「大師講ガユ」として、「大師には子どもがたくさんあ った(12人ともいっている)ので、自分が真中に座わり、まわりをとりまいている 子どもたちに、長い箸で食物を与えるために、長い箸を使って、かわり番にカユを 食べさせたものだといわれている、と。

 また、「大師講雪」として、「大師が子供がたくさんあったので、その子供に食 べさせる物を盗んで子供たちに食べさせた。ところがその盗んだ跡がみつからぬよ うにと、大師は呪文を唱えて、大吹雪にして雪の家から足跡を消して、足跡をかく してしまった。それで大師講のある日は、必ず大吹雪になるというので、大師講堂 (雪?)ということがいわれている、という。その外にも弘法信仰があったようで すが省略する。

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