下タ沢会によせて(覚書)

満州 − シベリア − 赤い縁のメガネ − (抄)

 吹雪で思い出したが、私が兵隊に行った先は満洲だった。厳寒の満洲、吹雪とい うよりもメガネで苦労した。
 ………
 
 ……暗闇やみの夜間行軍だ。我々初年兵にはどこをどう歩いて、どこに行くのか さっぱりわからない、たちまち汗と、はく息でメガネがくもる、ならまだいいが白 く凍ってしまう。立ち止ってメガネをふいている時間がない、前に行く人にはぐれ たらおしまいだ。見えないメガネをかけて、しがみつくようにして、ついて行った。 目のいい人にはみえない、よけいな苦労だった。

 そうして満洲の中をあっちこっち動いて奉天(今の瀋陽)で終戦になった。武装 解除されて(といっても持っているのは鉄砲と銃剣だけだが)、少し離れた文官屯 というところに集結させられた。出発だ、といわれては何故か2〜3度延期されて、 実際に出発したのは11月の半ばであったと思う。そうした或る日の朝、窓の外を見 たらメガネのようなのが落ちている。メガネときたら命の次だ。早速出てみたら、 赤い感じの細めの縁のメガネだ。かけてみたら丁度ぴったり、これは有難いと大事 にシベリアまで持っていった。それまでかけていたメガネは、どこでどうこわした か忘れたが、このメガネのおかげで、生活に困る(見えないために)ことなく、な んとか無事に家に帰ることができた。

 昨日まで窓の外には、何んもなかった。次の朝メガネがあった、そのときは、あ あよかった、で何んにも思わなかったが、後で、あれは私の死んだ母が、いよいよ シベリアに行くんだから、メガネがなければ困るだろう、と窓の外に置いていって くれた、とそう思った(思うことにしている)。

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